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#82 社会問題としての小論文教育⑪

 今日から8回に分けて小論文指導を巡る「教育現場における社会問題」についてお話ししたいと思います。
 
 小論文の指導は今や時代の趨勢から大変重要視されています。インプット型の教育からの脱却が少しずつですが、進んでいます。生徒が将来主体的な発信者となれるようにと、アウトプット型の教育の需要が高まっています。しかし、それは「言うは易く行うは難し」なものです。小論文指導には人事的問題・環境的問題・功利的問題など、様々な問題が複雑に絡み合っています。
 
 今日から8回に分けてそれらを1つ1つ具体的にお話ししていきたいと思います。とりわけ今日は「国語科」という教科が孕む問題についてお話しします。これは現場の国語科の先生たちならすぐさまご理解頂ける話です。しかし、国語科以外の先生だと、たとえ現場で働いている先生であっても、見過ごしがちな問題です。
 
 すなわち、教育現場の中でも問題が問題として認識されていない実情があります。今日はそういった学校社会の、ある意味での裏側についてお話ししたいと思います。

(1)国語科への偏見

 小論文は基本的に高校教育外の、もしくは高校教育を越えた知識・知性・感性が問われる学問ジャンルです。しかし、文章指導の一端を担っている経緯から「小論文指導は国語科の領分」という偏見が生じています。それにより小論文指導が偏狭なものとなってしまっています。本来であれば、様々な教科の先生が、様々な知見に基づいて、様々な角度から指導に当たったほうが良いはずです。また「客観的」な根拠を出すとか、「論理的に」展開するといった教育は、全教員ができて然るべきものです。しかし、現状では小論文指導の主体が国語科の先生に偏ってしまっています。そうすると、指導の可能性が広がりません。
 
 確かに、国語科には「国語表現」という科目があります。が、これは1979年に共通1次試験にマークシート方式が導入されたことによる反動で制定されたものです。記述力の向上や日常の言語運用能力の向上を目的としたものです。ゆえに「国語表現」は「小論文」で求められるような知識・知性・感性を磨くことを原則として目的としていません。つまり「国語表現」=「小論文」ではないのです。
 
 また国語の授業は、文学教育がかなりの割合を占めています。現代文の授業では小説を読み、古文・漢文の授業では昔の物語を読む機会が多いです。しかし、小論文では文学や物語に関する問題はあまり多くありません。広義での社会問題を取り上げることが多いです。正確に言うと、人文科学の問題よりも、社会科学の問題のほうが多いです。すなわち、小論文の課題内容と国語科の授業内容とには微妙なズレがあります。ミスマッチと言っていいかもしれません。なぜなら、国語科の授業では圧倒的に人文科学の内容が多いからです。

 ミスマッチやズレはまた別の観点からも指摘することができます。例えば、国語科には以下のような指導が求められています。「文学鑑賞能力」「適切な読解力」「言語運用能力」「論理的な発信力」これらはそれぞれに通底するところがありますが、実際は別々の能力です。具体的に言うと、文学を「味わう」能力と、意見を「論理」的に発信する能力とは、誰の目からみても別次元の能力です。同一視できるものではありません。それぞれ似て非なるものであり、それぞれに位相が異なります。しかし、上記したものは全て国語科の先生が教えることになっています。
 
 なぜなら、どれも「言語」を媒介としているからです。「言葉を扱う教育は全て国語科が請け負う」かのような乱暴な認識が学校現場にはあります。「言語」=「国語」ではありませんし、「言語指導」=「小論文指導」とはなりません。しかし、学校現場にはこの乱暴な認識が暗黙の了解として存在します。
 
 小論文指導は「国語科だけの仕事」ではありません。「国語科の仕事」ではありますが、「国語科だけの仕事」ではありません。少なくとも「論理的に考える力」や「客観的な根拠を探す力」は教員の誰もが指導すべき領分です。そして小論文の内容指導をより良くするためには、国語科の知識だけでは足りません。なぜなら、すでに述べたように、小論文の多くは現実の社会問題を題材にしているからです。より良い小論文を書くためには広く社会科学の知識が必要です。だから、それぞれの専門分野の知識・知性・感性が必要となります。様々な教科の先生が、様々な知見に基づいて、様々な角度から指導するのが理想的な形です。「ジャンルレス」「オールジャンル」の指導体制が理想的な形です。それが生徒の小論文実践の可能性を広げる方法です。
 
 しかし、現在では、そのような理想的な指導体制を構築している学校はかなり稀だと思います。やはり「言うは易く行うは難し」なものです。国語科への偏見と負担は簡単には解消されないでしょう。しかし大切なのは、的確な原因分析と的確な現状認識です。課題解決のためには、まずはそこから始める必要があります。

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 皆様、いかがだったでしょうか。おそらく学校の先生であっても、国語科でなければ、あまり考えたことのない観点ではないかと思います。いわば、学校社会の裏側の一部とも言うべき問題です。
 
 次回は学校現場において小論文を指導する上での、思わぬ落とし穴についてお話しします。それは教師の「日本語」についての理解です。ご興味ございましたら、是非お読み下さい。では、また!

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