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#90 社会問題としての小論文教育⑲

 今日は今まで投稿してきた記事のまとめとなる内容です。様々な形で小論文に関する話をしてきました。その上で「小論文とは何か?」という問いに答えていきたいと思います。すでに投稿してきた内容と重複しますが、重要な要素だけを抜き出しました。要するに、この研究ノートのまとめです。

 小論文は基本的に高校教育「外」の、もしくは高校教育を「越えた」知識・知性・感性が問われる学問ジャンルです。大切なことは課題(文)に内在する問題と「知的格闘」をすることです。自ら問いを立て、自分なりに問いを広げ、深め、新たに問いを捉え返す。そうやって問題を介して、現在の自分自身を乗り越える。知的飛躍する。それが小論文において書かれるべき内容であり、小論文に適した書き方(姿勢)です。だから小論文は少なからず作文の性質をも内在させます。しかし、知的格闘の末に何らかの飛躍が見られた場合、「自己の問題」は人々の共生する「社会の問題」となります。

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 皆様、いかがだったでしょうか。以上が現在、私が結論付けた「小論文」なるものです。実際問題を言えば、このような抽象的な定義付けに社会的な価値はありません。定義付けをしたところで、社会的な生産性は生じません。この記事によって生徒の執筆能力が飛躍的に向上することはありませんし、学校現場に大きく寄与することもないでしょう。
 
 しかし、ここからがスタートではないかと考えています。生徒への指導にしても、学校現場の課題解決にしても、まずは的確な現状認識と原因分析が必要です。この研究ノートがその一端になれば幸いです。
 
 また広く学校現場の問題性を多くの人々に知って頂けるのは嬉しいことです。なぜなら、教育に関する問題は早急に解決されたほうが良いからです。
 
 教育は未来と社会に向けた投資です。教育は個人だけを幸福にするものではありません。また現在だけを良くするものでもありません。教育は社会を良くするための営みであり、未来を良くするための営みです。教育の本当の効用は事後的にしか生じません。10代の生徒への教育効果は、その生徒が20代、30代、40代になってから現れます。そのため、教育という分野に問題があるということは、社会と未来に問題が発生するということです。そのため、問題はできるだけ早く解消されたほうが良いわけです。そのためには、まずは多くの人々に問題を知ってもらう必要があります。「知る」ことがスタート地点です。この研究ノートがその一端を担えていれば幸いです。
 
 次回はこの研究ノートの終わりの挨拶を投稿します。ご興味ございましたら、是非お読み下さい。では、また!

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