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【制作ノート】自由律俳句の「音」

こんにちは。
なつのよです。

気がつけば、「俳句」とか
「自由律俳句」に関わるnoteを
かなり多く書いてきました。

以下に、その一部を紹介します。

体系的に俳句や自由律俳句を
学んだわけではないので(今のところ)、
私自身が句を詠む中での
印象のお話になってしまいがち、
ではあるのですが……。

最近は、自由律俳句って、
本当に「自由」なのだろうか?
いったい、何が「自由」なのだろうか?
「自由」ではない部分もあるのではないか?
などなど、考えていました。

だって、本当に「なんでもあり」なら、
どんな思いつきだって
「自由律俳句です!」と
発表してしまっているはずです。
でも、決してそうではない。
「これは(なんか)違う!」
というものが、たくさんあります。

少なくとも私にとって、
それを「自由律俳句たらしめているもの」
っていったい何だろう、と考えたとき、
〝音〟の存在に思いいたりました。

俳句にも、短歌にも、詩にも、歌詞にも、
物語にも、評論にも、
それら〝ならでは〟の音はあるのだけど、

俳句の音とも、短歌の音とも、
詩の音とも、歌詞の音とも、
物語の音とも、評論の音とも異なる、
「自由律俳句〝ならでは〟の音」がある、

気がする。

「文字」と「イメージ」のお話は
以前からしていましたが、
ここには「音」も関わってくるのではないか、
というのがここ1週間ほどでの
新たな発見です。

もちろん、もともとぼんやりとは感じていて、
それを今、言葉にできた、ということでは
あるのでしょうが……。

「ならでは」の部分を、
もっと考えていきたいです。

不思議で、面白い。

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