Dye the sky.×ルカによる福音書×創世記から読み解く『神様は死んだ、って』
この記事は新旧聖書(ルカの福音書や創世記)の記述や今年のシャイニーカラーズの動き、歌詞の符合に加え、Dye the sky.が斑鳩ルカへの強烈なアンチテーゼであるという考察をもとに約2年前から貼られていた伏線を回収していくものです。
また、それらを踏まえた上で『神様は死んだ、って』が『Dye the sky.』への強烈なアンチテーゼであるという考察をしていきます。
よろしくどうぞ。
Dye the sky. × 斑鳩ルカ(伏線回収)
大前提として『神様は死んだ、って』というタイトルは『OH MY GOD(あぁ、神よ)』と真っ向から相対するものになっていますし、どちらの歌詞にもOH MY GODというフレーズが登場しています。
だからこそ『神様は死んだ、って』は『OH MY GOD』を意識した曲だと言われているわけです。
であれば、『神様は死んだ、って』とアンチテーゼの関係にあるのは『OH MY GOD』であるのが自然なはずですが、先述したようにこの記事の趣旨は『Dye the sky.』こそがアンチテーゼの関係にあるというものです。
では何故、そう考えるに至ったのか。
その根拠は作詞家さんにあります。
これも先述したことですが、元より私は『Dye the sky.』にはルカに対するアンチテーゼや2021年のシャニマスの展開を想定した伏線が存在していると考えています。
そしてその『Dye the sky.』を作詞した人物こそが『神様は死んだ、って』の作詞を担当している烏屋茶房さんなのです。
つまり同じ作詞家によって書かれた曲だからこそ、『神様は死んだ、って』にもアンチテーゼや伏線の要素があってもおかしくないと考えたわけです。
ですがそもそもの話、『Dye the sky.』はルカや『神様は死んだ、って』に関係があるのでしょうか?
色と光の三原色(シャイニーカラーズ編)
Dye the sky.にて語られるシアン、キープレート、マゼンタ、イエローとは、色の三原色(CMY)とそれらを重ね合わせた色(K)であり、これらは光を反射するという特性を持っています。
さらに、この三色を重ね合わせたキープレートこと黒は光を吸収する特性を持ちます(あくまでざっくりとした説明です)。
だからこそ歌詞は『そこに輝きなんてない』と続いているわけですが……ではどのような色なら輝けるのでしょうか。
これには色々な解釈があるでしょうし、その解釈によって答えも変化するとは思うのですが、私は光の三原色が答えであると考えています。
光の三原色(RGB)とは赤、緑、青で構成される、光を放つ性質がある原色のことを指します。
つまり、輝く色なわけです。
光を吸収する色の三原色(CMY)と黒(K)に相対すると考えるなら、輝く色である光の三原色(RGB)はこれ以上ない対象と言えるでしょう。
とはいえ、それだけで光の三原色が答えだと言っているわけではありません。
実は、光の三原色はシャニマスに深く関わっているのです。
1.追加ユニットと光の三原色
シャニマスには光の三原色と密接に関わるユニット達がいます。
それがStraylight、noctchill、SHHisの追加ユニットです。
彼女達はそれぞれ赤、青、緑の光の三原色をテーマカラーに持ち、迷光、夜光虫、シャンデリアといった、光を放つものがモチーフになっています。
光と色を重要視するシャイニーカラーズ(輝く色)の追加ユニットがこれらの色とモチーフを持っているのは偶然ではないと考えるべきでしょう。
そして、Dye the sky.には彼女達、光の三原色を示唆する歌詞が存在します。
パッと見では、Straylightとnoctchillの赤と青はあってSHHisの緑が無いように見えますが、月よりも星よりも夜を穿つような強い光を放つものとは一体何なのか、ということを考えるとしっかりと緑が存在していることがわかるのです。
2.月・日・星と光の三原色
タイトルで答えが出ちゃってる感がありますが、そもそもシャニマスにおいて月と星から連想されるものはなんでしょうか?
そう、太陽ですね。
実際、地球から見た太陽の光は、月よりも星よりも夜を穿つような強い光を放つわけですし、月、星、太陽の組み合わせは、COLORFUL FE@THERSや3rd LIVE等でこの1年よく目にしたという方も多いでしょう。
そしてシャニマスでは、月と星と同時に描かれる時、太陽は緑として扱われます。
それは、3rd LIVEのロゴやCDジャケットで太陽が緑色で描かれていることや、ユナイトバースプラネタリの衣装にて、Team.Solが緑の髪飾りを付けていることからもわかることで。
実際、3rd LIVEでは開催地の色と最初に披露される曲のチームカラーは統一されていましたし、3曲のうち最初に披露される曲のみが唯一リフトを使うという特別仕様で披露されていました。
つまり、シャニマスでは以下のような対応がされていると考えられるわけです。
色と光の三原色(斑鳩ルカ編)
さて、光の三原色とシャイニーカラーズが密接な関係にあるということは分かりましたが、ルカの方はどうでしょうか?
シャイニーカラーズの時と同じくテーマカラーを元に考えると、彼女のテーマカラーは黒ですから、『Dye the sky.』の歌詞に登場する色の三原色に関わりがあると考えることができそうです。
そして、『Dye the sky.』と『神様は死んだ、って』の歌詞にはシャイニーカラーズの月・日・星に対応しそうな黒を象徴するものが存在するのです。
が、それを考える前に、まずは光の三原色(月・日・星)との関係を考えていきましょう。
1.ルカによる福音書と光の三原色
一部ではルカの名前はルカの福音書が由来であるという説がありますが(にちかや美琴の誕生日がキリスト教関係のため)、それならば苗字の『斑鳩』とは一体なんでしょう。
試しに斑鳩をWikipediaで検索してみると、イカルという鳥が一番にヒットします。
そのイカルのページの『聞きなし(鳴き声の意)』の項に、非常に興味深い話が載っていまして、
どうやらイカルはCOLORFUL FE@THERSのチーム分けと同じ、月日星と鳴くそうなのです。
これはちょいとばかし面白い符合と言えそうですよね。
加えて、ルカの名前の由来であると考えられている、ルカによる福音書の21章25節にも月・日・星は登場します。
上に示したものはあくまで21章の一節の一部であり、21章の全体を門外漢の私が数分で雑に解釈したところによると、
って話らしいんですよ。
つまり、ルカの福音書における最後の兆しがシャニマスにも深く関わる月・日・星であり、斑鳩(イカル)の鳴き声でもあるわけです。
果たしてこれは偶然の一致なのでしょうか。
2.創世記と色の三原色
さて、光の三原色については色々とわかってきたので、お次は色の三原色についてです。
とは言っても、『黒→色の三原色』以上の解答はないので、ここでは月・日・星に対応しそうな黒を象徴するものを考えていきます。
唐突ですが、皆さんは「光あれ」という言葉をご存知でしょうか。
これは旧約聖書の一番最初に位置する創世記という書に登場する、キリスト教における有名な一節です。
所謂「初めにことばがあった」ってやつなんですが、この一節の全文には、光の三原色が月・日・星であるのなら、黒(色の三原色)とは闇(夜)なのではないかと思えることが書いてあります。
闇は光と真逆の存在ですし、どちらの曲にも夜というフレーズが登場しています(一応、曲タイトルの直前にあるって符合もありますがあんまり関係ないかも)。
また、神様は死んだ、ってでは
というDye the sky.にもあった月・日・星が登場するわけです。
これらの符合は果たして偶然なのでしょうか?
まとめ
さて、ここまでの話の重要な部分をまとめると以下のようになります。
次は歌詞考察になります。
Dye the sky. × 神様は死んだ、って(歌詞考察)
ここまでの考察を踏まえ、私がアンチテーゼであると感じた部分をいくつか抜き出していこうと思います。
Dye the sky.ではまるで空をキャンバスにしているかのように、『筆あと混ざり合う世界』『この空を染める』『塗り替えて』といった言葉が登場します。
しかしながら、それらはあくまで比喩表現であり、実際に空をキャンバスにすることも、空の色を別の色で染めることもできないわけです。
だからこそ、『絵空事 おままごと こんな世界』とルカは歌うわけですね。
読んで字の如く"絵空事"だと。
最終的に行き着く言葉は『キャンパスを裂くように』『世界ごと〜壊して』と近しいように見えるわけですが、本質は酷く遠いわけです。
この歌詞に限らず、シャイニーカラーズは悪く言うと綺麗事のような歌詞が多いと言えます。
だけれども、今までルカはそんな『綺麗事の刃で』血を流してきたわけです。
それは『綺麗事もうたくさんだ』と感じてしまうほどに。
そりゃあ『ありものの言葉で 救おうとなんてしないで』って言いたくもなるってもんで。
ただ、シャイニーカラーズの歌った『未来なんて実はどこにもない』という言葉は、先程と同様、表面だけをなぞればルカの思考と近しいところがありします。
というのもキリスト教において未来とは、その先にある終末とは救いなのです。何故なら終末ありきで世界を捉えているから。
更に言えば、『楽園はどこにもない』という歌詞が登場しますが、この歌詞はキリスト教の終末論的に見ると『未来がない』状態、つまり救いのない状態なわけです。
つまり、シャイニーカラーズは『未来は不確定で変えられる』と、ルカは『目指すべき未来、いつか到達する楽園。そんなものはもう存在しない。だから絶望しているんだ』と言っているわけです。
ちなみに、この『楽園はどこにもない』は楽園喪失、つまり創世記の3章と捉えることもできます(創世記 3章のサブタイみたいなものが楽園喪失 or 楽園追放)。
この場合、歌詞とキリスト教の対応は以下のようになるのですが、今回のアンチテーゼであるという考察にはあまり関わりがないので、蛇足にて触れることにします。
まぁとにかく、どちらの歌詞も方向性は違うけれど『未来なんてどこにもない』と言っているわけですね。
言うまでもなく、Dye the sky.が収録されたGR@DATE WINGは変化がテーマであり、Dye the sky.も例外ではありません。
上記の歌詞にも、それがよく現れていて「変わったと言われることを恐れず進む」『私であれ』という意気込みが見えるわけですが、ルカは『何一つ 変われない 私ごと〜壊して』と歌うわけですね。
『夜を穿て』『空を染めろ!』と歌ったシャイニーカラーズ(月・日・星)に対して、ルカ(夜)が『眼が灼けそう』『照らさないで』と歌うわけです。
『居場所を奪わないで』という言葉は、額面としての居場所(美琴の隣)でもあるでしょうし、メタファとしての居場所(空)でもあるのでしょう。
光を望む存在と光を忌避する存在。
お互いが混じり合えないスタンスを持っていることがわかります。
とまぁ、こういった符号から私は『神様は死んだ、って』が『Dye the sky.』への強烈なアンチテーゼであると考えています。
人によっては結構無理筋に感じる部分もあったかもしれませんが、ここまで読んでいただいたら「案外そういう説もアリなんじゃね……?」くらいに思っていただけるのではないでしょうか。
後書き
ということで! ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
記事としてはまだ続くのですが、本題である『神様は死んだ、って』が『Dye the sky.』への強烈なアンチテーゼであるという考察はここで終わるので一旦後書きをば。
この考察は、記事中でも何度か触れているように、今年の3月に投稿した記事がベースになっている為、一部考察が古い(浅い)ものが存在している可能性があります。
また、宗教的な解釈には明るくないので、そういった面でも間違った解釈があるやもしれません。
なので、もし間違った解釈があったとしても寛大な心で許していただけると幸いです。
まぁそもそも考察なんて正しくないのが前提ですし、公式が明言していないものは程度の差こそあれど全て妄言妄想とも言えるわけですが。
ちなみにこんな予想をしてたりもします。
ということで、改めてにはなりますが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
来年の皆さんのシャニマスライフが楽しいことを願って。
良いお年を!
蛇足:新旧聖書 × 神様は死んだ、って
ここからは、先述した『楽園はどこにもない』という歌詞についての考察やこの先の展開についての予想などをしていきたいと思います。
ただ、この考察は『神様は死んだ、って』単体の考察であり、『Dye the sky.』に関する話は1mmも登場しません。そのため、記事としては読まなくても問題ない部分になります。
故に蛇足(CV:櫻井孝宏)。
新旧聖書 × 神様は死んだ、って(光の三原色編)
シャニマスが光の三原色である、という話をした時、「じゃあなんでR→G→Bの順番で実装されなかったんだよ」って思いませんでした?
私は思ったよ。
その答えだと思われる記述が『色と光の三原色(斑鳩ルカ編)』でも言及した創世記 1章にあります。
これは神による天地創造について書かれている一節であり、私は、第一日の光がStraylightに、第二日の水(後々、海と言及される)がnoctchillに、第三日の種がSHHisに符合するのではないかと考えています。
つまり、創造順と追加ユニットの実装順が連動しているのではないかという話ですね。
ただ、この考察には致命的な穴があって、
というのが第四日に作ったものになるのですが、昼を司る大きい光が太陽、夜を司る小さい光が月、つまり日・月・星なんですよね、、
チーム曲が発表されたのってSHHisが登場する前じゃんっていう。
ただ、チーム曲が発表された時点ではSHHisの2人はTeam.Stella及びTeam.Solに所属していませんでした。
つまり、チーム曲が発表された時点ではそれぞれのチームは完全な状態とは言えなかったわけです。
故にこの理論もあながち間違ってはいないのではないかと——
え? Lunaには追加アイドルがいないから、やっぱりまだ完全な状態じゃないって?
そこはまぁ、残ってるルカを入れれば、、ほら、ルカは夜って話をしたし、、(流石に冗談です)
え、冗談だよね、、?
新旧聖書 × 神様は死んだ、って(罪と呪い編)
さて、これまでの考察ではスルーして来ましたが、この歌詞にある『いっそ死んでしまいたいな、って』思うほどの『イバラ』とはなんでしょうか。
私は原罪によって全人類が受けた呪いだと考えています。
原罪とはアダムとイブがある実を食べたことであり、その罰として彼らは神から呪いを与えられるのですが、その罪と呪いは全人類に引き継がれることになります。
そして、その呪いの象徴とされているのが荊であり、荊冠を被ったキリストが処刑されることで、神は原罪を許す。というのが聖書に書かれているエピソードなのですが、
勿論、ただイバラという言葉が登場したという一点の符合のみでイバラ = 呪いだと考えたわけではありません。
旧約聖書と新約聖書のそれぞれに登場する呪いに関係する記述と歌詞に符号があるからこそ、そう考えたのです。
その符合する歌詞というのが下の部分です。
まず、"キリスト教"と『楽園はどこにもない』という言葉から連想されるものが一つありますよね。
そう、失楽園です。
失楽園とは別名「楽園喪失」とも呼ばれ、先程も登場した旧約聖書の一部である創世記、その3章のことを指す言葉です。
この失楽園には、原罪概念の前提(アダムとイブによる罪)や、彼らが神によって呪いを与えられ追放されたという記述がされています。
そして、同じく罪と呪いについて書かれたものに新約聖書の一部であるヨハネによる福音書、その19章があります。
ヨハネによる福音書の19章には、キリスト(神の『子羊』)が全人類の罪と呪いを集約した荊冠(『罪人たちの冠』)を被り磔にされたこと、使命(予言)を全うするために「かわく」と発言したこと(『渇き』)、そして彼が死んだ、ってことなどが記述されています。
……最後はちょっと強引かな?
とはいえ、このように、旧約聖書と新約聖書のそれぞれに登場する呪いに関係する記述と歌詞に符号があるからこそ、イバラが呪いであると考えたわけです。
つまり『イバラの中に落とされた体』が『傷だらけ』なのは呪いに侵されているという比喩ではないか、ということですね。
そして、キリスト教における呪いは簡単に言うと「生きるのさえ苦しい」という内容のものであり、
という歌詞によく当てはまっていると言えるでしょう。
そして『病める子羊(神様)』がどういう意味かといえば、、
後書き(第二弾!)
再三にはなりますが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
ちなみに、道中Lunaにルカが加入するのでは、、? みたいな感じの文章を書きましたが、流石にそれは無いかなぁと自分でも思っています。はい。
まぁ、あくまで与太話として聞き流してください。
ということで、以上でこの記事は終わりになります。
それでは。
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