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Hi-STANDARDに殴られた話と黄金の出会い

15歳の夏の決定的な出来事。

中学生になってラジオを好んで聞くようになり、テレビやヒットチャートに乗るもの以外にも良い音楽が山ほどあるという意識にはなっていた。
それまでHi-STANDARDの存在を知ってはいたが、「なんか英語で歌ってる人たち」という認識でしかなかった。
99年の夏に『MAKING THE ROAD』がリリースされたタイミング、
どこかで曲を耳にして頭をかち割られるかのような電気の走る衝撃を覚え、ようやく気づく。
「これは大変だ!!」とTSUTAYAにアルバムを買いに行き、その発売日が自分の誕生日だと知って勝手に運命づけたのが懐かしい。
当時こういったジャンルのムーブメントがピークだったのでマニアックという程でもなかったかもしれないけど、インディペンデントというスタイルにも惹かれ、自分の中のヒーローとなる。

という訳で過去の作品を遡ったり翌年の新作のリリースを待って買う体験をしたりVHSを擦り切れるほど観たりして、ドップリと浸かる。
スリーピースの三位一体な感じ、ベースボーカル、歪んだギター、疾走感、メロディーライン、コーラスワーク…何もかもがカッコよく思えた。
髪型は短い頃の難波さんを意識、古着っぽいTシャツ、ダメージ感のあるデニム、スニーカーはVANSと自分なりに拘る(ビッグシルエットの白いTシャツとチノパンは着なかった笑)
他に邦楽ならHUSKING BEE、BRAHMAN、BACK DROP BOMB、SCAFULL KING、KEMURI、POTSHOT、THE MAD CAPSULE MARKETS、eastern youth。
洋楽ならGreen Day、NOFX、Snuff、Lagwagon、Less Than JakeからNirvana、Rage Against The Machine、Smashing Pumpkinsなんぞをよく聞いてただそれだけで満足していた。

2000年のAIR JAMを最後にHi-STANDARDが活動休止に。
記憶が正しければその少し後の時期に某ファンサイトの掲示板である男と出会う。
同じバンドが好きでハンドルネームが被っていてタメという理由だけで、気づけば彼にメールを送っていた。
車椅子だと知ったら面倒がられるかもと思いつつも包み隠さず伝えてみたら、そんなことは全く関係なくフランクに受け入れてくれて、あっという間に意気投合する。
ただ、彼の名前は掲示板で名乗っていた"なつお"ではなく亮平だと知った時は『違うんかい!』と全力でツッコんだ。

当時はアンオフィシャルなファンサイトが乱立していてウェブリングというその集合体のようなものもあった。
自分も学校で師匠にホームページの作り方を習っていたので、サイトを立ち上げて色んな管理人たちと繋がる。
そしてその流れでこれまたタメの"えり"とも亮平と共通して仲良くなり最強トリオが結成される(これこそが本当の自分みたいな)
毎日メールや掲示板やチャットでコミュニケーションを取って、馴れ合い罵り合い高校時代を謳歌した。
その頃はまだネット黎明期で無法地帯、亮平の掲示板が荒らされた時に仕返しするのではなく毅然と喧嘩を受けて立ってやった思い出は若気の至りである。

そんな2人とは常に住まいが離れているけど、大人になってからも数回リアルで集まる機会を作ることができて、40歳を前にした今でも付き合いが続いている。
これは持論だが、関係性の濃密さを決めるのは会った回数や時間の長さじゃないことを体現しているし、高校生の時に2人と上手く仲良くなれていなければ今の自分のコミュ力はないと断言できる。
そして付き合いが長くなるほど何があるか分からないもので、震災のあった2011年にHi-STANDARDが復活する瞬間を亮平と一緒に目撃してしまうある種の事件が起きた。
えりがチケットを取ってくれなければ叶わなかったので、これは3人でのストーリーだし、10代の頃には想像できる訳のなかったヤバい未来が待っていたのだ。
現在1人はケルン在住なのとコロナ禍と自分の病状とで再びリアルで集まるのにはハードルの高い状況にあるが、コイツらとのことならどうにでもなるような気がしてならない。

Dear My Friend。

2011.9.18 AIR JAM 2011 at 横浜スタジアム

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