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【妊娠レポ③】

我が子は出てきた瞬間に大きく泣き始めた。
私はおなかの感覚がないまま、さえぎられたシートの先でオンギャアー!と泣き叫ぶ何かに、ふっと何かのスイッチを入れられたような気がした。
出てきてすぐの、うっすら赤い我が子を看護師さんが私の視界につれてきてくれた。目に入った瞬間に、涙が出ていた。なんでとか、理由などない涙だった。理屈なしに泣いていたのである。
最初に我が子に思ったことは「この世界へようこそ!」であった。

そのあと、麻酔を吸って意識がなくなった。

次に気付くと、まさに「知らない天井」であった。
隣には旦那がいたので「ここはどこ?」と訊いた気がする。ぼんやりした意識の中で、終わったんだ・・・という気持ちがあふれた(実際はここからが大変だし、むしろ始まりだがこの時は疲れていて、やっと出産が終わったという十月十日の終わりを実感していた)

そのあと、我が子と対面した。
小さくて小さくて、まだ泣くこともおぼつかない我が子・・・
正直、本当に私のおなかから出てきたのか?!と思った。10ヵ月もおなかで育てていたので、いざ外に出てきてもまだ実感がわかなかった。

旦那は抱っこして、うれし泣きしていた。
私はこのとき「この人をお父さんにしてあげられたんだ」と思った。
もちろん一人じゃ子供は出来ないし、少々上から目線な発想だとは思ったが、わたしの10ヵ月が報われたような、そんな気がしたのである。

その後、足の感覚は翌日の昼まで戻らなかった。
足のことを心配していたが、翌日大変だったのはおなかであった。
当たり前だが、おなかを切っているわけなので鎮痛剤がないと痛すぎて動けないほどであった。しかし、産後の回復のためには歩行しなくてはいけない。先生に、翌日の目標は歩行!トイレに一人で行く!と言われていたので、私は翌日の昼にトイレに行くことになった。
一回目は何かあるといけないので看護師さんが付いてくれた。
自分ではなぜだかわからないが、おなかに力を入れずにベッドから降りる方法と、歩行する方法を勝手に出来ていたようで看護師さんに驚かれた。
しかし歩行の振動だけでも、おなかに響いてしまうので本当にカメのような歩行スピードだった。トイレに着いても、座り方が難しくて困った。さらに子宮からはしばらく出血しているのでナプキンを替えるのだが、これがまたおなかに力が入らないように作業するには大変であった。

帝王切開による絶食時間は丸一日程度だったと思う。
しかし、絶食明けのおかゆは食べた瞬間に「うまっ」と声が出るほどに、これまで食べてきたどんなご飯よりも美味しかったような気がする。
おそらく、出産が終わった達成感と純粋な空腹とでメンタル面の影響が大きいと思う(笑)
私の行っていた産院は病院食にも力を入れていて、写真映えするような色どりのごはんや、豪華な出産祝い御膳ものちのち出てくるのだが、この日のこのおかゆを超える美味しさというのはなくて、入院最終日にアンケートを書く時に困った。(結局、「絶食明けのおかゆ」と正直に書いた)

そんなこんなで私の育児生活は始まったのだが、帝王切開ということで自然分娩より2日ほど長く入院できたため、おっぱいケアを長く受けられたり、疑問点も多く解消できたということもあり、いまは帝王切開でよかったかなと思ったりしている(前向き)

退院までは多くの助産師さんやお医者さんに支えられて、人を産み出した後ってこんなに回復に時間がかかるんだなと、痛感した。
実際は退院してからも悪露(子宮からの出血)は続くし、骨盤が戻るまで痛いし、おなかの傷も残る。本当の全回復は一体何か月後なのだろうと思う。
一番驚いたのは、産んだ後なのにまだ妊娠8か月くらいのおなかの大きさだったことだ(笑)
これも時間経過でへこんでいくらしいが、産後2ヵ月たった今もおなかはたぷんとしている。まだまだである。

しかし、赤ちゃんは尊い。
子供大好き!というマインドじゃなかった私でさえ、我が子にはメロメロになり、他人の子供もめっちゃかわいいと思うようになった。

経験によって人生観や趣味嗜好は変わっていくと思うが、赤ちゃんに関してはすごい速さと威力だなと、体験して分かった。

たくさんの人に感謝したい。私が無事に出産できて、我が子が無事に産まれたことに関係してくれた皆さん。10ヵ月見守ってくれた周りの人々。友人。家族。旦那。
私を知る人みんな。過去も全部。この世界線に存在できたことへ。
感謝したい。ありがとう。

いつか何かが辛くなった時、自分でこのレポを見返したときにこの気持ちが思い出せますように。

ここまで読んでいただいた方にも感謝いたします。

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