ラリー遠田が嫌いだけど褒める

私はお笑いライター「ラリー遠田」氏が大嫌いである。それを私自身、比較的マイナーな意見だと感じていたのだが、最近ふと思い立って「ラリー遠田 嫌い」でTwitter検索したところ相当数のツイートがヒットした。

そのアカウント主全員と肩を組んでパプリカを熱唱したいところだが、当方「サバのアヒージョ缶をつまみにストロングゼロをキメた」ばかりである。いくらSNSに特定の人物へのヘイトを垂れ流す方々だったとしても、理不尽に臭い思いはさせたくないので片っ端からリツイートすることでパプリカ熱唱に代えた。

ラリー遠田氏が嫌われる要因は主に以下の二つであると考えられる。

1.芸人どころか作家経験もねぇくせにどの立場からモノを言うのか

2.文章の中身が薄いし主観的

しかし私も立派なアラサー、生理的なヘイトだけでなくそろそろ大人の意見を持たなくてはならない。ひいては、ラリー遠田氏の「嫌われる要素」に敢えて反論した上で、その長所についても考えてみたいと思う。

ラリー氏台頭の折、現役の芸人だった私の感想は「しゃらくせぇ、くたばれ」一択であったが、我ながら丸くなったものである。

まず、芸人および作家経験が無くとも、お笑いを語ってはいけないという法律はない。ライターという職業はその性質柄、仕事が来れば得意不得意に限らずどんなお題にも対応する必要がある。しかもラリー氏は旧帝大出身だというし、元々ライターとしてはまあまあのポジションにいたのだろう。興味のあるジャンルを「選べる」立場にあったのではないだろうか。それが氏にとって「お笑い」だったのかもしれない。

また、内容が薄いという批判に関してであるが、某牛丼屋の「早いうまい安い」は、ライターという職業においても該当する。特に「早い」はライターに限らず作家業の強みである。ラリー氏のお笑い論は私の見る限り「早いまずいしゃらくさい」だ。安いかどうかは知らない。とにかくお笑いに関するインフォメーションが発せられた瞬間に反応を見せるため、「早い」という最大のアドバンテージだけは持っているように見える。そして、「早い」仕事をする為には、データと主観で文字を埋めるのが一番効率的だ。「芸人と作家とオタクは激怒した。必ずかの邪智暴虐なおわライターを除かねばならねぇ」と数千の兵vs1人のリンチ状態必至だが、仕事としてみればただ「捌いている」にすぎない。「僕お笑いホント大好きなんすよ!」みたいな態度を取っていても、それすらもはや仕事の一環であろう。

また、コミュニケーション能力の高さも尊敬に値する点ではある。しみけん言う所の「印紙男優」(※参照記事https://www.excite.co.jp/news/article/Narinari_20150626_32317/)のような顔面、個人的には生理的に無理なので(あちらさんも鯖缶ストゼロ臭のするクソブスは無理だと思う)あんまり会話とかしたくないが、お笑いファンの交流会など主催してなかなか親切なことに変わりはない。そこに承認欲求とかが含まれているのかどうかはわからないが、同好の士を集めてコミュニケーションを取ってもらうというイベントに悪意があろうはずがない。

ちなみにラリー遠田氏、名前が出始めた当初は顔出しをしていなかった。せめて清野とおる先生レベルのサブカルイケメンであれば手のひらクルー、靴裏のガムすら舐めとる所存であったが何しろ印紙男優顔である。あの妙にクッキリした二重がいかにも性欲エグそうだ。うすた京介先生画のアイコン、全然似てない。

最後はただの悪口となってしまったが、嫌いな人間の有能さを言語化するなどという殊勝な行いはしたことがなかったため、そこだけは氏に感謝したい次第である。

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