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幼稚園 ショートエッセイ 10本

私は、多分仲良くなりたい人に幼稚園の話をめっちゃしてしまう習性がある。幼稚園の頃のことは覚えている人とほとんど覚えていない人に分かれると思う。それが何故かは分からないけど、せっかく覚えているので10個のエピソードをまとめてみた。

さくらんぼさん

年小になる前、さくらんぼさんという少人数の事前教育に通っていた。(年小がたんぽぽ、年中がすみれ、年長がさくらだった。) その前に、体験入園日のような日があったのを覚えている。
通っていた幼稚園はモンテッソーリ教育をしていて、窓際の低めで幅の広い棚にその道具がずらりと並べられていた。こんなことをしますよ、と先生が私と母親に説明してくれた。鳥が枝に止まっているフィギュアで、ボタンを押すとその鳥の鳴き声のするやつを一番よく覚えている。
同じ日か、さくらんぼさんになった後かは覚えていないけど、先輩幼稚園児のところに遊びに行く日があった。1人のすみれ(年中)さんが、私に何か教えてくれるというような態度で接してきた。ねんどを2つ丸めたものを差し出して、どちらかには宝物が入っているから当ててみて。と言う。ひとつ選んだ。中から、赤に近いピンク色をした透明で丸い、キラキラと反射するカットの入ったビーズが出てきてとても嬉しかった。こんな遊びもあるのかと感動した。

エプロン

小学校や幼稚園でなにか特別に褒められた記憶は少ないけれど、覚えていることがある。
みんなお部屋遊びをしていて、その時間が終わったのでお片付けをして集まってくださいということになった。私はおままごとをしていたのだけど、つけていたエプロンをちゃんと畳みたくなった。友達に聞いてみたら、こうやって畳むといいよ、と教えてくれたけど、自分でやってもどうしても納得のいく畳み方にならず、時間を無視して畳み続けた。自分が使っていたエプロン以外のやつも気になってきて、それも広げて畳みなおした。もうみんなは集まっていた。そうしたら先生が、どうしてまだ片付けをしているのか聞いてきた。エプロンを畳み直していたことを説明すると、偉いですね。と何故か褒められて、みんなも片付けをしましょう。と呼びかけて、一度集まったみんなも、また片付けをすることになった。嬉しかったけど恥ずかしかった。

お弁当箱

一番仲の良かったかなちゃんと、よく2人で思いついたことをやっていた。その日の思いつきでトイレの前の手洗い場で、お昼ご飯のあとにお弁当箱を洗った。お弁当を食べたら普通そのまま持って帰るし、お弁当給食の日はお弁当箱は回収されるのが普通だけど、それを洗ってみようということになった。デザートにオレンジが入っていて、その皮を使ってお弁当箱をぴかぴかにした。先生に見つかって褒められた。味を占めて別の日もまたお弁当箱を洗っていたら、先生に見られて得意げな気持ちになっていた。今度はなぜか注意された。

不味い飲み物

お昼の時間、やかんに入った飲み物を先生が配ってくれていた。牛乳か、茶色いお茶(ほうじ茶とかウーロン茶系のお茶)どっちがいいか聞かれて、どっちも飲みたくなかったので両方断った。私が何も飲んでないことに気づいた先生が声をかけてきて、上手く言えないけどどっちも断って飲み物がないという状況を説明すると、半分ずつ混ぜたらいいかもしれない、と提案してきた。少し嫌だけど面白そうだと思ったので半分ずつ注いでもらって、飲んでみたら、めちゃくちゃ不味かった。キモい味がした。

泥団子

基本的に室内遊びが好きで、お外遊びはできるだけしたくなかった。ある日友達が「かぜぎみ」という言葉を知って、「風邪まではいかないけど、風邪っぽくて少し具合の悪い状態のこと」だと教えてくれた日には、これはすごい言葉だ!となり、先生に「私たちはかぜぎみなので、お外遊びをおやすみしたい」と伝えた。結局、風邪気味ぐらいなら大丈夫と言われてお外で遊ぶことになった。
お外遊びの中で一番好きなのが泥団子作りだった。今考えても、泥団子は1人で集中する遊びであり、外の中では一番屋内遊びに性質が近いと思う。
私以外にも砂場遊びが好きなあやかちゃんという子がいた。あまり多くは語らないけど、たまに泥団子作りを私に教えてくれていた。砂場に行くと、必ず私より先に砂場にいた。なんでそんなに早いんだろうと思っていた。あやかちゃんとはお部屋ではそんなに話さないけど、砂場ではお互いをリスペクトしていた。
泥団子作りは、光らせることよりもいかに丸く作るか、表面をなめらかに仕上げるかということを大切にしていた。
たまに、仲のいい友達と砂場で泥団子を作る日もあった。また、誰かが普段は泥団子しないのに、光る泥団子の作り方をどこからか仕入れてきて、みんなの注目を集めていた。私もやってみたけど、全然光らなくて、ブームにもついていきそびれたので急に泥団子作りが遠い存在になったような、そもそも今まで自分がしていた泥団子とはまた別なんじゃないかというような微妙な気持ちになった。

梅干し

祖父の漬けた梅干しが好きだった。酸っぱくてしょっぱい味のしっかりとした梅干しだった。梅干しを食べたら、親に驚かれて褒められたのが嬉しくて好きになったと思う。1日2粒までだった。お弁当のご飯に移った味や、種を吸うと出てくる味も好きだった。
ピアノ教室に通っていた。レッスンは幼稚園のあとの教室でやっていた。その日はお弁当の日で、お弁当の梅干しの種をずっと吸っていた。ピアノの間中吸っていて、ピアノが終わって迎えを待つ間にゴミ箱に種を出したら、先生がびっくりしてそのことを親に言った。親にネタにされ続けた。

初恋

たんぽぽさん(年小)になったばかりのときに、こうだいくんという男の子のことをかっこいいなと思っていたのが多分初恋だった。少し日に焼けた感じで、髪が短くて輪郭もシュッとしていてさっぱりとした感じだった。そのことが母の日記に書いてあって、「ちゃいろくて、まるいかおのおとこなの。」と私は言っていたらしい。確かに茶色いと思ったのだろう。でも「まるいかお」というのは丸顔という意味でなくて、輪郭がイイ感じだと思った当時の私なりの最大の言語表現だった。

銅賞

市のコンクールで描いた絵が銅賞になった。まず、賞をとったのが絵を描いてから少し経った後だったのと、「銅賞」と言われても賞には金銀銅がある、というところから知らなければならなかったし、何のコンクールなのかもよくわからないのでそんなに嬉しくはなかった。「幼稚園の外部の賞」であることは分かった。絵は三島大社に飾られた。
絵のテーマが「日の丸のある風景」で、今考えると酷いナショナリズムだと思う。先生に、日の丸がある風景を描きましょうと言われ、最初に思いついたのがダンスの発表会の風景だった。市民文化会館の入り口に日本国旗が上がっていたのが気になっていたから。絵の左半分に建物の階段と入り口を、階段の下にウインクしている自分と、絵の右側に国旗を描いた。背景の色は空の青に塗ったけど、国旗の下の部分にスペースがあってその部分の色がどうも思いつかなかった。地面だから、土やろ と思い、いろんな色を混ぜて茶色に塗ったら、国旗の下のスペースに地面がどんどん侵食してきて、茶色の色の幅が広いのが楽しくなってきてしまい、いろんな色を混ぜて塗ってを繰り返して日の丸の下に結構な深茶色のダークネスゾーンが出来上がってしまった。
日の丸の右上に本物の太陽も描いて対比させてあった。
ダンスの発表会の絵なのに、タイトルが「お買い物」にされていた。大人は勝手だなと思ったのと、お買い物で日の丸がオッケーだったらもうなんでもありじゃん。適当なのか、馬鹿にされているな、と思った。

お買い物

にゃんにゃんごっこ

すみれさん(年中)の一時期、おままごとを決まったメンバーでやっていた。役柄が決まっていて、主人公の猫のにゃんにゃんがみんなに飼われている設定だったので「にゃんにゃんごっこ」と呼んでいた。にゃんにゃん以外のメンバーは3人いて、1人は「おねえさん」、かなちゃんが「ジャスミン」で私は「アリエル」の役だった。一応にゃんにゃん以外は全員おねえさんのくくりになるけど、一番シンプルにおねえさんなのがおねえさんで、それ以外はなぜかディズニープリンセスだった。
ある日にゃんにゃんのお誕生日という設定の会があった。みんなでお祝いをしたあと、にゃんにゃんはとても喜びながら「にゃんにゃん毎日誕生日がいい!」と言い出した。私は、それは少しおかしいんじゃないかと思って「それだとにゃんにゃんが365人いることになっちゃう」と言った。自分はアリエルのくせしてちょっと冷たすぎる発言だった。

卒園式

卒園式は今までのどんな卒業式よりも思い入れが深い。文章にしてしまうのが勿体無いくらい。
式では、みんなの将来の夢を紹介された。私はあまり職業を知らず、年小の頃の七夕では「ママ(母親)」(上手く伝わらず短冊に「ままのようになりたい」と書かれたけど意図としては「母親」になりたいという意味だった。) 年中の頃は忘れたけど年長になって「動物のお医者さん」と答えた。獣医ではなく動物のお医者さんで、母親が漫画を貸してくれて読んでいた影響だった。
そのあと、今までお世話になった人の紹介があった。
スヌーピーが好きで少し似ているかよ先生、ショートカットがトレードマークのおさべ先生など先生の話があった。順番が先か後か分からないけど、その流れで先生以外のお世話になった人たちの紹介があり、幼稚園バスの運転手の小林さんは、みんなが安全に幼稚園に来られるよう、毎日休むことなく運転してくれていました。という話だった。わたしは親の車での送り迎えだったのでバスは使っていなかったけど、話しかけるといつもニコニコしてくれていた小林さんのことを思ってだんだんうるうるしてきてしまった。次にお弁当の杉山さんの話があった。みんなが遊んでいる間、みんなのために美味しいお弁当を運んでくれていました。という紹介で、どんな情緒的なスピーチ内容だったのか今となっては分からないけど、ありえないほど鮮明に、せっせと1人で幼稚園の玄関までお弁当を運んでくれている杉山さんの姿が視覚的に想像できてめちゃくちゃ号泣してしまった。隣でかなちゃんも泣いていて、ハンカチを貸してくれた。なんで先生の話ではなくてこの2人で泣いていたのかと思えば、2人は祖父母か少し上くらいの年齢で、わたしはおじいさんとかおばあさんが異様に好きだった。愛おしいというかなんというか、そういう感情を持っていて、それで泣いてしまったんだと思う。一つ矛盾があって、園長先生も同じくらいおばあさんだったけど、なんか強いイメージがあったからか、先生が開園当時から大切に育て続けた大きな桜の木の話はなんだか冗長に感じられて、感動はしたけどあんまり泣けはしなかった。
実家にそのビデオが残っていて、見てみたら途中でテープが切れて泣いてるところまで映っていなかった。途中までの様子は、ずっと顔がブチギレていた。どういう感情?