国語の授業をバカにしていた話

国語の授業の時に、

「この作者はどう感じていましたか?」

という質問や

「この物語を読んであなたはどう思いますか?」

という問題ってありませんでしたか?


私は、この問題が出たら、いつもパニックでした。

だって、作者に直接聞けない(大抵亡くなってるしね)し、答え合わせが出ないのに、どこの誰の情報なんかわからないけど、作者はこう考えていた…という答えを私たちは推測して書かされるという。
本人にインタビューして、こう言ってた!という情報ではないよな、研究者の推測とかもあるもんな…などとモヤモヤしまくってました。

今思うとクソみたいな問題ですよね。
私は、ずっとそう思ってました。

まぁ、この作者はどう考えてましたか?という問題はまだいいとして。


「あなたはどう感じましたか?」という質問よ。

ある時、私は、先生を試すために正直に、感想を書きました。

私の中で、その感想は、模範解答ではないと知ってました。
何となく、先生や学校が求めている答えというものを、私は「知っていた」のです。

なので、あえて、分かってるけど、違うことを。

そしたら、やっぱり、バツを付けられて答案用紙を返されました。

「どうして、本当に思ったことは書いたらダメなんだろう?」
「きっと、こういう答えは学校では求められないんだろうな」
と思うと同時に

「学校や先生の気に入る答えを書かないとバツされる、怒られる」
ということを学習してしまいました。

いつの間にか、反発しながらも、「この世の中には、思っていい正解があるはず…」みたいなことを考えてました。

だって、正解を答える方が、圧倒的に大人に好かれるし、可愛がられるし、怒られたりしないんだもの。

私みたいに正直に言うと、怒られまくる。
異端児だとハブられる。

小学生の私は、

「こんな国語のテストなんてクソだ!クソだ!つまらね~!」

と思ってましたが、先生に怒られるのが怖いのでそんな自分を隠しまくってました。

昔はさ、そういうみんな同じ考えで…みたいなのが当たり前で、みんなそれを当たり前に受け入れてた時代だったけどさ、もう今の時代はそういうのじゃないよね。
そういうのを受け入れる方が生きづらい世界に変わってきてると思う。

学校や社会が…じゃなくて、地球の流れとしてね。

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