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《シリーズ連載》手打ちうどん○五代目武蔵 vs らあめん◉小次郎 前編

 開店数時間前の人気ラーメン店らあめん◉小次郎〇〇店のシャッターの前にはすでに二十人以上の行列が並んでいた。

 らあめん◉小次郎といえばいわゆるニンニク野菜脂マシマシで有名なラーメン屋だが、東京の隅っこにあるこの店はそのチェーン店の中でも特に評価の高い店で、ここのラーメンを食べにわざわざ遠方から足を運んでくる客も多い。らあめん◉小次郎のファンは通称コジリアンと呼ばれるが、この店の客はその中でも特にコジリアン度が高い。店に対する忠誠心は絶対で、大将や店員に対する崇拝は度を超していた。今日もそんなコジリアンたちは、もはや歴史的建造物といっていいほどボロボロになった建物の店の前で互いに小次郎のラーメンを食べる意気込みと大将や店員への感謝を語っていた。

「俺らこの店に出会えた奇跡に感謝しなければいけないよな。間違いなくこの店は数あるらあめん◉小次郎のグループ店の中でも最高の店だし、しかもその店がこんな近くにあるんだぜ」

「そうだよな。俺ら客は大将や店員さんたちに感謝への感謝の気持ちを忘れちゃいけないよな。あの方たち俺らのために一日中ラーメン作ってくださってるんだ。なのにさ、そのありがたいラーメンを残す客ってのが毎日必ずいるんだよ。全くとんでもないよな」

「そうそう。この間なんかも小サイズ頼んだくせにまるまる残しやがった客がいて、大将と店員を思いっきり怒らせてたな。『こんなちっこいサイズも食えねえ奴がうちの店くんじゃねえよ!』てな。まぁ当たり前だよな」

「そいつらはらあめん◉小次郎をなんだと思ってんだよ。小次郎はテメエが家で作ってるインスタントラーメンと違うんだぞ。大将の作ったラーメンには魂が刻まれているんだよ。俺らは大将が魂を込めてくださったラーメンを食べさせていただいている事に感謝しなければいけないのに」

「まぁ、そういう連中は」と言って客は連れの顔を見ながら向かい側の古風な建物の一階にある目新しい作りのうどん屋を指差した。

「あのパチモンのうどん屋行けばいいんだよ。あの看板にデカデカと貼ってある天かす生姜醤油うどんっていう小次郎のパチモンのクソ不味そうなマシマシうどん食ってりゃいいんだよ」

 客が指差したうどん屋の屋根には藍色に白抜きのフォントで『手打ちうどん ○五代目武蔵』という名の屋号がデカデカとプリントされていた。店先の看板には天かすと生姜が乗ったうどんに醤油をふりかけている写真と『当店おすすめメニュー!天かす生姜醤油全部入りうどん!』とデカデカ印字された宣伝ポスターが貼られていた。

「だな、だけどあそこって小次郎に入れなかった奴が代わりにって食いにいく事あるらしいぜ。お前入ったことある?」

「あるわけねえじゃん。俺は小次郎に振られたこと一回もねえんだし」

「俺もだ」

 と、その時二人の真後ろに立っていた男が声を上げた。

「俺あるよ。一回スープ無くなったから終了だって言われていまさら別のラーメン屋探すのめんどくせえからあそこ入ったんだ」

 二人は興味深げに男に聞いた。

「で、あんたはあのパチモンみたいな天かす生姜醤油全部入りうどん食ったのか?」

「いや、食ってない。食ったのは普通のかけうどんだよ。大体あんなキモいうどんなんて食えるわけないでしょ。俺の他にも何人かあのうどん屋に入ってるみたいだけど、おそらく誰もあの天かす生姜醤油全部入りうどんなんて食ってないと思うよ。ちなみにうどんはうまくも不味くもない普通のうどんだよ」

「ああそうか」と二人は男に相槌を打つと一緒に向かい側のうどん屋を見た。

「ところであのうどん屋いつからやってるんだ?屋根とか看板新しいからやっぱりつい最近だよな。お前俺よりずっと長くここに住んでるから知ってるよな?」

 客が連れにこう聞くと連れはうーんと唸り込んで考え込んだが、しばらくして答えた。

「いや、わからん。建物自体は昔から建っててこの店の前もうどん屋が入ってたようなんだけど、看板もろくになかったからいつの間にか存在自体忘れてたよ。なんかいつの間にこの店が出来てたって感じだな」

「ああなるほどね。恐らく東京に進出したい田舎の企業あたりがらあめん◉小次郎の評判聞いて、そのおこぼれを頂こうって考えて、前のうどん屋がとっくに店を畳んで空き家になってたこの建物借りて店構えたってとこか?」

「お前右京さんか?凄え名推理じゃん。多分そうだろうよ。でもまあその目論見は見事大失敗したって感じだな。この店昼時でも客の気配すらねえしな。何が武蔵だよ!田舎もんのうどん屋が小次郎と張り合うなんて千年早いっての!お前なんか巌流島に行く前に溺れ死んでるぜ!おまけに五代目だあ〜。新参者が名門気取ってんじゃねえよ!うち小次郎見ろよ!あのボロボロの屋根、崩れそうな程傾きかけている店の建物の神々しい姿をよ。あれこそ真の名門の証なんだよ!」

 そう言うと二人してうどん屋を笑いながらうどん屋を罵倒した。他の客もそれにつられて一斉にうどん屋を悪し様に罵って哄笑した。その馬鹿笑いに耐えられなくなったのか、うどん屋の中から店主らしき老人が出てきた。老人は自分の店の前に仁王立ちで立ち、自分の店を笑っていた小次郎客をキツく睨みつけた。その眼光の鋭さにはさすがの小次郎客も黙ってしまった。

 開店時間まで三十分を切った頃、小次郎の扉から異様に太った店員が出てきて並んでいる客に向って注文と整理券を配りだした。客たちはやってくる店員に今日もしっかり食べさせていただきます!とか、いつもお勤めご苦労様です!とか、小次郎にいつも命をいただいております!とか、ただのラーメン屋の店員に向かって偉く丁寧に挨拶していた。太った店員はでかい態度で客にウザそうにおうとか相槌をうちながら次々と注文をとっていったが、行列の中に一人の青年を見つけると立ち止まっていきなり怒鳴りつけた。

「おう!コラ!てめえ、出禁になったのにまた来たんか!さっさとこっから出て失せろ!」

 客たちはその怒鳴り声を聞いて一斉に青年を見た。

「オラ!出て行けってのがわかんねえのか!いいから早く出ていけよ!」

 店員はもう一度青年を怒鳴りつけた。だが青年はその場から離れない。店員をじっと何かを訴えかけるような目でただ店員を見つめている。しかしその時であった。青年は突然ひざを地面につけて土下座したのだ。

「この間のことはお詫びします!だからもう一度だけ小次郎を食べるチャンスを下さい!今度こそ絶対に食べてみせますから!」

「うるせえんだよバカやろ!土下座したって出禁は出禁なんだよ!さっさと帰れ!」

「イヤです!僕はこの店の小次郎を食べるために東京に出てきたんです!ここを追い出されたら僕は生きていけません!」

「じゃあ死ね!今すぐここで死んでみせろ!」

 この店員の大声の罵倒に並んでいた客はざわめき隣のうどん屋から何事かとまた老人が姿を現した。皆青年と店員を見守っていた。そして小次郎の大将も店から出てきた。大将は店員に輪をかけて太っており、もう歩くより転がったほうが早いんじゃないかとツッコミがでそうなほどだった。大将は二人の所に歩いてきていきなり「うるせえんだよバカ野郎!テメエ客と遊んでねえでさっさと注目とれよ!と店員を殴り始めたが、店員が「この間出禁にしたコイツがまた来ているんですよ!」と青年を指さして言ったので殴るのをやめ土下座している青年を見た。大将は青年の下に屈みこむと恵比寿みたいにニッコリして青年に声をかけた。

「さあ立ちなよ。服が汚れちゃうじゃないか。もう泣かないで」

 青年は笑顔の大将を見て泣き出した。彼は涙を流しながら大将に訴えた。

「この間のことは本当に申し訳ありませんでした!あんな事をしでかしたら出禁になって当然です!大将や店員さんや他のお客さんに大迷惑かけて!僕はあれからどうお詫びしていいかずっと考えていましたが、結局これしか思いつきませんでした!これが僕のお詫びの気持ちです。受け取ってください!そしてもう一度、もう一度だけ、僕に小次郎を食べるチャンスをください!小次郎は田舎にいた時からずっと僕の夢だったんです!だからお願いします!」

 青年はそう涙声で訴えると大将に向かって一万円札を差しだした。しかし大将は笑顔で「そんなものはいらないよ」と言いながら恵比寿顔で青年から万札をふんだくり、その場でいきなり丸めて青年に放り投げた。

「いらないっていってるじゃないか。こんなものトイレットペーパーの代わりにもなりはしないよ。いいから持ってお帰り」

 この大将の言葉を聞いた行列客は一斉に笑い出した。

「ば〜か、大将の作った小次郎は金じゃ買えねえんだよ!」

「とっとと田舎帰れ!お前は小次郎に選ばれなかったんだよ!」

「店員さんも言ってただろうが!さっさと死ねって!そんなに小次郎が好きなら今すぐ死ねや!」

 この死ねの声を聞いて行列客は大笑いし青年に向かって死ね死ね死ねと一斉に囃し立てた。大将や店員は客を止めようともせず、それどころかもっとやれと煽りまくった。青年は完全に号泣してしまい、泣きながら大将に丸められた一万円札を拾おうとしたが、その時強い風が吹いてなんと万札が飛ばされてしまったのだ。青年は慌てて万札の元に駆け寄ったが、風がさらに強く吹きつけて万札はあっちこっちと転がっていってしまった。ひたすら万札を追いかける青年を客たちは一斉にがんばってぇとか囃し立てた。

 その光景をずっと見ていた老人は耐えきれず小次郎のバカ連中を叱ってやろうと一歩踏み出したが、その時後ろの戸が開いたので足を止めて振り返った。

「お嬢」

「もう我慢できねえ」

 青年は万札を追ってうどん屋の敷地に入り込んでしまった。彼はあたりを見回して万札を探しうどん屋の看板の下に万札を見つけた。それで屈んで看板の下から万札を取り出そうとした。しかしその時突然頭上に影ができたのでなんだと思って顔を上げた。彼は自分の真上に割烹着を着た若い女性がいたのでビックリしてそのまま止まってしまった。

 驚いたのは青年だけではなかった。その場にいた小次郎連中もこの凜とした美人の登場にみんなビックリして目を剥いた。あんな女見たことはない。あのうどん屋の店員か?先ほど小次郎について語っていた客がうどん屋に入ったことのある客に店にあんな可愛い女の子いたの?と聞いたが、客はいやとあの爺さんしかいなかったと思うんだけどと首を傾げた。

 うどん屋から突如現れた割烹着の若い女性はその場に屈んで看板の下から丸められた万札を取り出してそれを伸ばして「はいよ」と青年に渡し、それから立ち上がって小次郎連中を怒鳴りつけた。

「バカヤロウ!こんな弱っちい坊やにいい大人が寄ってたかっていぢめて恥ずかしくないのかい!ああん、なんだい?さっきまでの威勢はどうしたい。あんたらまさか女一人にビビったんじゃないだろうね!」

「お嬢、コイツらを刺激しちゃあぶねえよ!コイツらは小次郎みたいな体に悪いもんばっかり食ってるからみんな高血圧で血の気が多いんだぜ!」

「止めるんじゃないよ師匠!じいちゃんだっておとっつぁんだって弱いものいぢめを許さないに決まってるよ!」

 小次郎連中はこの老人と若い女性のやり取りをポカンとした顔で眺めていたが、小次郎の大将が我に返って女性に向かって話しかけた。

「あの〜、あなたはどちらさまなのでしょうか。私、五年前からここの店任されているのですが、その五年間あなたを一度もお見かけした事がないんでちょっと気になりまして」

 大将に尋ねられた若い女性は軽く舌打ちをしてやたら歯切れのいい江戸弁で啖呵を切った。

「あたいは昭和の昔からここで店やらしてもらっている手打ちうどん武蔵の五代目女将だよ。三年前から女将やらしてもらっている!よく覚えておきやがれ!」

 昭和時代から店をやっていると聞いて小次郎連中はざわめいた。彼らはうどん屋を完全に新しい店舗だと思い込んでいたのだ。ということはうどん屋は小次郎ができる前からずっとここに店を構えていたと言うことか。しかしなぜそれに気づかなかったのだろう。しかもまさかこんな美人がうどん屋にいたと気づかないなんて。それを知っていれば店に入っていたかもしれないのに。

 女将は青年の肩に手を置いて言った。

「よかったらあたいの店来ないかい?アンタ今日は何も食べてないんだろ?サービスでかけうどん出してあげるよ。ほら立ちなよ。お店まで案内するからさ」

 青年はハッとして女将を見た。自分を包み込んでくれるようなまるで姉貴のような笑顔。東京でこんな笑顔で自分に声をかけられたのは初めてだ。彼は腕を上げて差し出された手を掴もうとする。だが、彼は突然我に返って女将の手を払いのけた。

「僕はらあめん◉小次郎を食べるために東京に来たんだ!そんな色仕掛けしたってお前のうどん屋なんかには入らないぞ!」

 青年はそう叫ぶと万札を握ったまま走り去ってしまった。後に残された者たちは呆然としてこの光景を眺めていた。




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