頬に伝う血液を 記録

  涙は血液の透明版みたいな話を聞いた。
 ふと思い出した時、私は過去に言われた言葉をおもいだす。象牙の船に銀の櫂 月夜の海に浮かべれば 忘れた唄を思い出す。それを自然と吐くように。
 「泣いた数だけ強くなれる」「泣いても何も解決しない」
 私の知っている大人はそれを良く口にした。ですが、私は強くなりたいわけでもなく、解決を求める事なく、ただ血液を目から流している。それすらも叶わないのか?と。最近は何もなくても涙目になることが増えた。目を閉じ目を擦る。たった一滴にも満たないものが袖口に消えていく。いつか本当に泣くのかもしれない。何もないのに。よくあることだと自分の中では納得はしているものの認めてはいない。

 そんな日は空想の世界に篭る。何事もなく、ただ普遍的に毎日を消化させる。起きてこなすべきことをこなす。寝初めてからやっとログインボーナスがもらえる。そんなゲームだと思うようにすると少しだけ愉快なものに見える。気がする。愉快な存在とは言ったもののなかなか苦痛なもので。たまに嫌になってリセットしたりセーブしてから別の世界に遊びにいきたくなる時もある。

 最近、というよりほぼ昨日。授業中唐突な呼び出し。何故?と聞くとそろそろ講座に出席しろとのお達し。私的にはセーブして別のゲームに遊びに行っている感覚だったのだがやはり大人は厳しい。少しくらいサボらせてほしいものだ。講座という名の小テストなのに。くそぅ。
 こっちは生き死にをかけた一世一代の時間なのに。
 ここでようやく「最近」を報告。無理だと言った。もう嫌なのだと。こんな人生やめてやると。はっきりと言った。思ったよりも素直に口に出た。言われ方も一つ。多分。ちょい上から目線で言われると反発したくなる。こっちの気も知らないで。それを話すと「君のことはね、他の先生方も心配してるんよ。ほら頑張り屋さんなの知ってるからさ。頼るのも甘えるのも下手だよね」と。本気でお涙ちょちょぎれた。うわぁ世界、思ってるより俺に優しいかも。なんて考えた。うーん!今更っ!今更なんよ。本当に。もっと早くに教えてくれ。もっと、もっと早くに。いや、こう願うのは良くない。世界が優しいことに気づくのに遅い。というのは数年前にもやらかしたことで。

 心配の気持ちというのは伝えすぎかな?くらいがちょうどいいのだ。俺みたいに自分からアクションかけれない人間には。価値を見出せない人間には。伝えすぎくらいがちょうどいい。本当に放っておかれると何するかわからん。
 「なつきちゃんのことね、病みツイしてたから心配してたんだよ〜」と多少元気になった時に言われた。本気で死を考えて、本気で実行する前、最後のお別れ会というか少し楽しんでからにしようという余裕のある時に。ああ、その時でよかった。本気で意識している時に言われたらきっと泣いてしまっていたし弱くなっていたかもしれない。ある意味変に弱み見せなくてよかったなとは思う。でも、本音を言ったら本気で死を考えているときに言って欲しかったかもしれない。いくら私がデフォで病んでいるとしても。いつもより病みツイの量が多くなってきたな、本気を感じた時じゃないと簡単にぽっくり逝ってしまいそう。そんな弱くて脆い。だが生命力だけは一丁前にある。(手相がすごく表してくる)ため、放っておいても死なないという矛盾。多少俺が悩むくらいのそれ。
 いやあ、死というものはなかなかに嫌なもので。死ぬ前は素晴らしく気持ちがいいのに、生き返った時のあの気分の悪さは、インフルや喘息、花粉にもひけを取らない。素晴らしく気持ち悪い。もし、これで失敗してしまったら。またあれを体感するのか。と思うと気が重い。でも楽になれるかもしれないという少しの甘さが誘う。

 泣いたって気づかないふりができる大人はきっと世の中のさまざまなことを知っている素晴らしい方々なのだろう。気付けない大人は幸せな人生を歩んできたのだろう。私は気づかないふりができるのだろうか。一人で泣いている子どもを未熟な存在だと言えるのだろうか。気づかないふりをするのも大人なのだろう。きっと、本人からアクションをかけるのを待つのも大人なのだろう。でも、それで手遅れになったら後悔するのは私だと思った。後悔したくないと思った。

 今も気づいてくれたという安堵感や、心配している人がいることを知れた嬉しさで泣きそうになっている。声を出さないで泣くのは喉に負担がかかっている気がする。かといって大声で泣くのは解釈不一致。うん。泣かないのが一番!多分

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