よもやま話

 よし、眠剤入れた、安定剤飲んだ、さまざま課題終わり!自由だ〜と思うだろ?眠剤入れてすぐにおやすみができるほど強くはないからこうやって頭を整理してあげる。ちょうどぼんやりし始めてあくびが出てきたらやめる。一種のゲームなのか縛りプレイなのかわからない遊戯だ。

 今日のテーマは、なぜマイノリティ側はマジョリティを考えるのか?という点。私はとことんマイノリティ側にいる人間だ。マジョリティを普通とするならば、だいぶ普通とはかけ離れた生活を送っている。身近な人と同じ時間に起き、少しの差はあれど似たような時間帯バスに揺られ、同じ授業を受け、似たような食事を摂り、どこか少しマジョリティよりに設定された話題に興じる。
 少しづつ何となくボタンのかけ違いがあるような気がする。健常者が明らかに気にしていないところが気にかかる。同じような時間のバスに乗ったとしてもバスの中が大嫌いな私とバスに乗って多少の嫌悪感がある方であればその時点で損をしているし、同じ授業を受けていたって個人の感想があって当然(答えのない問い)の問題を考えた際、なぜか意見に共感できないのだ。何処かマジョリティ側に配慮した話題は、マジョリティが多いので私以外で楽しんでいてもらえれば。こっちはたまに意見を言うのと、愛想笑いで大変なんだから。こう言う時の会話で勝手にしゅんってしてしまう。だが、言動や行動の主張をよく聞いてみればどこかで経験したことがあるような感覚に襲われる。この子のこの言葉の意味はこう捉えるから共感ができなくて、理解もできなくてから苦手。ではなく私にとってはこう言う出来事(少し違う出来事)が起きたとすると私はこう考えるだろうなと無駄に頭を働かせる。その結果何を言っているのか分からず、相手に話が伝わらない事が起きる。そりゃそうだ、全部話せば早いものをところどころ健常者らしい部分を切り取って話しているのだから。そんなもんだろう。
「自傷行為はいけないことだ」なんて言われたって私にとってはそれはなければ今生きていないかもしれない行為だしなぁなんて考えると人とは違うを見せつけられる。私はすごく反論したい気持ちを抑えながらもだよね〜なんて笑っている。嫌なやつすぎる。もし自傷行為をしたことがあり、否定はでない人を傷つけていないか少し心配になる。

 たまにああこの人は悪気がないんだろうな。と言う一言二言をものすごく意識する。きっとこれが彼女らがみている世界なんだと思う。私はそれを理解しないと話の輪に入れない。ただ普通に話す。それだけでマジョリティの立場にいることが重要なのだ。日頃から考えていなければいざという時に言葉が出てこなくなりそうで嫌なのだ。円滑なコミュニケーションのために、今後誰かの前でマジョリティでいたくなったときのために。
 あとこれを許したい。私に対して嫌なことをされた際、何で許すかというと相手の言葉や言動に納得した時だ。仕方ないで終わらせる。仕方ないといってみたら何となく許せてしまう。そのため、許すために知る。

 私は基本的に「仕方ない」で終わりたい。何度も「仕方ない」の言葉に救われてきた。
 「私は〜だから仕方ない」なんて呟けば少しのモヤモヤが晴れて、何となく生きていける気がする。でも、最近、善い人たちと触れ合った。何だか彼らと話していると「仕方ない」で終わらせなくてもよかったのではないか?と考え始める。うわ、よくない。終わらせておけばよかったじゃない。堕落。愚問。未来の自分へ、もし君が今読み返しているのなら、これについて考えるな。ほら、今好きなCPとかあるだろ?それの同人を書くんだ。書けなければ思う存分に読め。な?大丈夫。お前ならできるよ。
 もやもやしちゃった。どうしよう。もやもや止まらなくなっちゃった。もしこの「仕方ない」で終わらせられたら、仕方ないなんて一言で終わらせなくても良いのかもしれない。知れば知るほど、無駄に「仕方ない」って言葉に甘えていた気がする。それが間違いだったのかもしれない。なんて考え始めるのだ。

 理解ができたら怖くない。無知の知という言葉が好きだ。だったら理解できたら怖くないのではないかと。知れば怖く無くなるのだと。だったら理解してやろうじゃん。当てずっぽうでもいいから何となく、そう考えていそうで自分の中で一番納得できる解を模索して。「こういう考え方をしているんだったらそれを言われても仕方ないのかもしれない」と思うと少し気持ちが楽になる。少し「自分が悪かった」という思考さえ持っているだけで案外人生楽に生きれた。諦めることに慣れてきた。別に思い通り行かなくったって人間は結局生きちゃうし。
 この生き方でいいんだ〜って信じていたものが何か違うに変わった。これでいいと肯定されたい。この生き方でいいと。もしこの生き方がダメなのであれば説明をして欲しい。なぜダメなのかを話し合ってみたい。それで私が納得できるのがベスト。納得できなかったとしてもこういう話し合いが大好きだから新たな価値観✨楽しい〜!!なんて思うんだろう。

 一番はこの「仕方ない」の理由が見つからなかった時。もし、割り切れなくなったらどうしようという気持ちが強まっている。人生なんて長ければ長いほど嫌なことが起きるし(反対にいいこともあるんだけど)、割り切れないで何度か死を考えてしまった私にとって懸念せざるをえない。これが多数派の普通なのかと考える場面も増えた。障害者として話す機会が増えた。そうするとギャップがあることを知る。羨ましさを感じる日もある。

 おそらくここで寝落ちたのだろう。パタリと止まっていた。
 数日前、なぜだか急に書きたくなったのを覚えている。とりあえず投稿といこう。

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