まだ考えてしまう。やはり一度踏み入ってしまった快楽には人は抗えない。私は最近まで消えてやるー。こんな世界滅びてしまえー。クソがー。などと考え、準備をしていた身だ。だから今後生きる予定はなかった。だから課題も適当にしたし、任意の講座も無断欠席した。(できれば連絡しろと言われていた)どうせ最後だし、「あいつは最近サボる悪い奴だった」「よくわからない奴だった」それで終わればいいと思っていた。

 それは知っている側からしたら頑張っていると捉えられるが、知らない人からしたら「なんだこいつ」というようにただ悪印象を抱かせてしまう。別に〜精神疾患と発達障害持っていますから〜知られずに努力するのには慣れているが、やはりきついものがあるというかなんというか。

 実際には死ぬのをやめたのではない。失敗する確率があったから延期。言いたいけど、これ以上言ってしまうと本当にバレかねない。
 どうせならいい天気の日にとも思うし、こんな中途半端な季節というか、失敗したら本当に今までの努力が無駄になる気がするというか。要は出席日数が足りているだとか、期末のレポートが書き終わっているだとか、そういうギリギリダメでもどこかへは復帰できる環境にいたい。という自己満足というかポリシーというかを思い出した。今までの努力を無駄にするのは違うじゃん。やり残した事がある。私はそれを遂げるためにいかなきゃいけない場所がある。ちょうど決めている最期の場所の経由にあるからな。というか、そこは大事な場所だから、絶対に楽しい場所だから、もしかしたらここで気が変わる可能性があるんだな。だから迷っている。そこへ行っても楽しさなんて微塵も感じない。そう言えるほど堕落しないといけないから延期した。

 生存本能かな。どうなんだろう。
 もしかしたらこれが夢かもしれない。
 夢の中では私は死んでいて、でも起きたら生きていた。一度死んだのか、それともずっと生きていたのか。わからない。
 唐突なタイトル回収。に少し笑ってしまう。一応。私は孟子の考え方を重んじているタイプです。

 だからなんだという話ではあるのですが、本当によろしくない。仕留めるためには今はやめるしかないというわけだ。行く場所周辺のおすすめスポットでも知人たちに聞きに行くとするかな。多分一つめの場所は何人かあてがあるから。どうせあと少しの命というわけではないかもしれない。もし命が少なくならなかったとしても、いつか旅行に行く時の参考にでもさせてもらおう。
 蝶のように飛んでいく。そんな夢を見よう。

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