「スティーブ・ジョブズが子どもにiPhone やiPadを使わせなかった理由」について思うこと。

先日、この記事を目にしました。

スティーブ・ジョブズが子どもにiPhone やiPadを使わせなかった理由

ジョブズは言わずと知れたApple社の創設者であり、テクノロジーの最先端をひた走っていた人です。次々と最新機器を発表し世界に広めていったハイテク技術の教祖のような彼が、自分の子どもたちにはその利用を厳しく制限していたそうなのです。

↓↓引用↓↓

現代の親なら百も承知だろうが、iPhoneやiPadは子ども達にとって非常に魅力的だ。これら手のひらサイズの機器は最先端のおもちゃである。長い休暇、長いドライブの間などの親が忙しい時に、親の代わりとなって、子どもたちを喜ばせ、気晴らしをさせ、静かにさせてくれる。
しかし、こうした超便利な助っ人に感謝する前に、それらの機器が子どもたちに及ぼす潜在的な害について心配すべきなのではないか?

最近ふと、10年前くらいが一番良かったなぁと思うことが増えました。
ケータイはパカパカ携帯が主流で、スマホみたいに高機能ではありませんでしたが、電話もメールもインターネットもできました。SNSも既にありましたが、今みたいに誰でもはやっていませんでしたし、日常的なツールではありませんでした。

それでちょうど良かったなと思うのです。

スマホが主流になったことで便利にはなりましたが、弊害も増えたと感じます。今までは個々に使っていたツールがスマホの登場でそれ一つあれば事足りるようになり、ゲーム機にもカメラにもパソコンにもウォークマンにもなるそれは私たちの生活を侵食していきました。

ゲームアプリの充実によって、家庭用ゲーム機のようにソフトが必要だったり立ち上げが面倒だったりしないので、ゲーム欲のない私でもついやってしまいそれに費やす時間が増えました。SNSが盛んになったことでプライベートをさらけ出すのが日常化し、受け取らなくてもいい膨大な情報を受け取って、今までは経験のなかった類の方法で傷付く人も増えたように思います。そうしてデジタルツールに触れている時間が莫大に増え、それなしでは不安に感じる人も出てきています。

そもそもないからやらないのと、あるのをやらないのでは労力が違います。後者は相当な自制心を要します。

特に子どもたちは生まれた時に既にそれらがあり、当たり前化しています。我が家の長女も1歳半でスライドロックを外して使いこなしていましたし、4歳になった今ではYouTubeで音声検索し好きなものを探して見ています。我が家も時間制限はしていますが触らせないことはもう不可能に感じますし、時代的にある程度使えなくてはとも思います。

ですが、重ね重ね「パソコン(=iPadやiPhoneのこと)は生きることにおいて全然大事じゃない」と言い聞かせています。使うのは仕方ないとしても、それに依存して「何が大事か」を見誤ってほしくないからです。

デジタルツールは所詮「道具」です。そして、それに帰属するウェブ上の世界も仮のものでしかありません。人間はそれらを利用する立場であって、それらに振り回されることはとても愚かなことです。

世界中の人がみんなこれらを放棄すればいいのに…と思います。便利ではなくなるかもしれませんが、正しいコミュニケーションの活性化と心の安定は得られる気がするので。

でも人間は一度手に入れたものはなかなか手放せない生き物なんですよね…。

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