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「五戒」の「感謝して」について(1)

レイキの「五戒」の本文にある5つの戒めの3つ目は「感謝して」です。
最初が「怒るな」「心配すな」と禁止事項だったのに対し、ここから残りは推奨事項になります。

感謝すればいいのか

よく子どもに「ちゃんと「ありがとう」って言いなさい!」という親がいますよね?
感謝できる子どもに育てたいと思って、その指導をしているのです。
しかし、ただ「ありがとう」と口に出して言えば、それでいいのでしょうか?

だいたい親からそういうことを言われる子どもは、反発心しか抱きません。
なぜなら、「ありがとうと言え」と命令されることは、「今のままのお前じゃダメだ」と言われているのと同じだからです。
こうやって子どもは親から、「今のままの自分はダメなんだ」という思いを植え付けられ、自尊心の低い人間になります。

「感謝する」と言葉では言いますが、実際は「感謝」は「する」ものではありません。
「感謝」というのは、自然に湧いてくるものです。それは感情であり、状態だからです。

その「感謝」という状態にいる時、それを表現したくて出てくる言葉が「ありがとう」なのです。
お辞儀をしたり、相手の手を握ったり、ハグしたり、キスしたり、・・・。
いろいろな表現があります。
しかし、その表現が重要なのではなく、そのもとの「感謝」という状態でいることが重要なのです。

感謝すれば願いが叶う

神社はお願いに行くところではなく、感謝しに行くところだという話があります。
健康にしてくださいと祈るのではなく、たとえ一部不具合があっても、他は健康でこうして生きてこられたことを感謝する。
そうやって感謝していると、不思議と健康になったりします。

このことを、「神との対話」ではこう言っています。

「あなたは求めるものを手に入れられないし、欲するものを得ることもできない。求めるというのは、自分にはないと言いきることであり、欲すると言えば、まさにそのこと--欲すること--を現実に体験することになる。
したがって、正しい祈りとは、求めたりすがったりすることでは決してなく、感謝である。」(p.25)

しかし、いくら「ありがとう神さま。お陰で健康に生きられます。」と祈ったとしても、まったく健康にならないこともあるでしょう。
いえむしろ、その方が多いかもしれません。

願えば、願っている状態(=願いが叶っていない状態)が現実になるだけだから、今度は「ありがとう」と感謝してみたのです。
それなのに願いが叶わないのはどうしてでしょう?
その答えも、「神との対話」の中にあります。

「感謝とは神を信頼することだ。求めるより前に神が応えてくれると認めることだから。決して求めたりすがったりせず、感謝しなさい。
(中略)
感謝は神をあやつる手段ではない。宇宙をごまかす仕掛けではない。自分に嘘をつくことはできない。自分の心はごまかせない。」(p.26)

つまり、「感謝すれば願いが叶うから感謝する」という考え方は、神を操ろうとしているのと同じなのです。
本当の感謝というのは、そういう目的のためにするようなものではなく、ただ本当に有り難いと思うことなのです。

感謝と願いの関係

本当に感謝した時、その願いが叶うかもしれませんが、その時点でそれはもう願いではなくなっています。
そのことに気づかれたでしょうか?

本当に感謝したくなるのは、すでに充分に満足している状態です。
これ以上ないと感激している状態です。
そんな状態で、さらに何かを欲するなどと願うことがあるでしょうか?
あるはずがありません。

したがって、本当に感謝するとは、もう期待していないということであり、その結果にこだわりを持っていないという状態のはずです。
そのことを、同じシリーズの「神との友情」ではこう言っています。

「だからこそ「期待せずに生きなさい」と言われるのだよ。だからこそ、あらゆる状態や状況でどんな結果になっても、そこに「完璧を見なさい」と言われるのだ。」(上 p.142)

それが真の感謝です。
そしてこの「五戒」にある「感謝して」という言葉は、表面だけを取り繕ったものではなく、真の感謝をするようにという意味なのです。

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