見出し画像

子どもの頃のトラウマとの付き合い方

先日の手帳会議記事の中で
『とあるきっかけがあって
ノートに書き残すことができなくなった』

と書きまして、
それについて、自分の中でどのように整理してるのかな?
と改めて考えたので、言語化してみました。

https://note.com/naturalheartlabo/n/n7e4357945417

とあるきっかけというのは、
家族に見られたということで、
まあよくあることかもしれません。

前提として、子どもの頃って親の存在は絶対で、見放されたら生きていけない現実がありますよね。

わたしの両親も含め、多くの一般的な大人は子どもは大切です。故意に意地悪をするようなことはないけれど。知らず知らずのうちに「干渉」してしまうことがあるのかな、と、子どもを育ててみて思いました。

我が家は少々干渉が激しくて、あたしはまあまあ苦しみました。
大事だったんだろうなーと理解はしてますよ。でもあたしにとっては、辛かった思い出は正直多いです。

トラウマ

大袈裟なのかもしれないけど、「親を信用できない」「家は安全じゃない」と思ってしまったことは、わたしの深い?トラウマ。
今も持ち続けるそれとどんなふうに付き合ってるのかというと。

横に置き続けている

「親の過干渉によって傷ついているわたし」
のことを無視せず、共感して、いつも隣にいる感じです。
「嫌だったよね」って
「そう思ってもいいよいいよ」って感じです。

一時は鎮めようとしたし、
一見うまく行ってた頃もありました。

でも。

「できるだけ近づきすぎないように最低限の娘としての役割を果たす」のは不本意ではないのです。
ただ、あちらにはそれが伝わらない(伝えてない)ので、なんていうか、寄ってきますよね。
大好きな娘に。頼りたい娘に。

「辛いなら逃げていい」
ということも、重々承知しています。関わりを持たなければ、とても楽であることは確かです。でも、感謝していることもたくさんあるし、わざわざ今更傷つけることも無かろうとも思うし、「縁を切る」ほどではないなと思っています。
すると、
やはり、定期的に会うハメになり、会えば面倒臭いと感じ、少々の罪悪感も感じます。
結果として「嫌だと感じているわたし」はなかなか成仏できずに、ずっと隣にいるのです。

それをまるっと「まあ、仕方ない(笑)今世ではこんなもんか…」と思って、付き合っている次第です。

幸いなことに、わたしの夫や息子は、こんなわたしの状況をよーく理解した上で、わたしの実家とうまく円満に付き合ってくれてます。
ありがたい存在。
良いパートナーと子どもに恵まれたのは、今世の贈り物です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?