世界に誇れる大和魂④

今回は縄文時代の人の生き方について考えてみたいと思います。

縄文時代は死ぬと神になると考えられてきました。

ですから、社会に貢献するように
仏教的にいうと徳を積んだ生き方をする様にしていました。

ここで面白いのは縄文時代はほとんど言葉は存在していません。

縄文時代は遺跡から、外交が始まってからは中国の文献の倭が日本として歴史として残っている様です。

言語がある私たちは言語に縛られ何か大切な物に気づかなくなっているように思います。
言い換えると「脳の肥大」によって本来は動物脳でキャッチできる情報がわからなくなっているように思います。

縄文人は脳の言語中枢が発達していない俗にいう「第6感」が働いた様に思います。

だから、縄文時代はそこらじゅうで火山が噴火していましたが、争いもなく生きていたのではないでしょうか。

話を戻して、縄文時代は亡くなった人を村の中心に土葬して神として祀ったそうです。

それが今に「神道」古くは「古神道」として残っています。

これはいわば神社の宮司さんの教科書みたいな物ですかね。

神道は読んで字の如し「神になる道」だそうです。

仏教やキリスト教のような宗教は仏やキリストから学びますが
神道には教祖はおらず、自然から人生を学ぶことだそうです。

天知る地知る己知る
という言葉は中国から来た言葉ですが
私は子供の頃この言葉が常に心に留まっていて
自分で悪いことと知って行うことは
天や地におられる神様に怒られると思ってできなかったです。

日本人の道徳心にはこの辺が根強く残っているのではないですかね。



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