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マリナーラ&ズッキーニピザ

世界一の職人が作ったピザ窯。
それ、美味しいという証明なのか?首を傾げずにいられない。だって窯である。道具。調理器具。人間国宝作の包丁を宣伝にする寿司屋はおそらくいない。ちょっと意地悪にひねくれつつ、でも確かに窯とオーブンでは仕上がりは違うと納得する気持ちもある。
ここはひとつ、現地調査の必要がある。

長い駅の階段を降り、賑やかな高架下をくぐってすぐ。タピオカのキッチンカーに列を成す若者を横目に、雑居ビルの地下へ降りる。
ガラスの扉の向こうから、入口のオレンジ色のピザ釜が誇らしげに出迎えてくれた。

予約の電話はなかなか繋がらず、ダメもとで飛び込んだが運よく滑り込めた。店内は香ばしさとオリーブオイルとにんにくの香りに満ちている。二時間制、と念を押されたが、食べ終えたときには列ができていたから確かになかなかの繁盛店。
さらにラッキーなことにピザ窯のすぐ横に案内されて、長いオールのような道具でピザを焼く様子がずっと眺められた。

冷たい炭酸が恋しい気温、それにピザといえばコーラかビール。ドリンクページをじっくり見ると、生ビール、エクストラコールド、うんキンキンでそれもあり、瓶は…定番のイタリアのモレッティ、チェコのウルケル、…ウルケル?やった!と弾んだ声でオーダーする。サッパリし過ぎでもこってりしすぎても味気ない。ピルスナーの王様ならバランスがいい。

ピザはすでにマリナーラに決めていた。ニンニクとトマトソースにチェリートマト。チーズ系も気になるが、生地が売りなら具はシンプルに。
冷気に曇るグラスとビールを持ってきてくれた店員さんにマリナーラと告げると、サイズはレギュラーにしますか、小さめにしますか、と聞いてくれた。
「レギュラーだとお一人様一枚くらいのボリューム感です。ハーフ&ハーフにもできますが」
レギュラーで、と反射で言いかけた口をつぐむ。なんと。そんな欲張りなワザが!
急遽メニューをめくり直し、季節のピザ、ズッキーニ&モッツアレラ&鶏むね肉のピザとのハーフ&ハーフへ変更する。具はシンプルに?本音はいろんな味も食べてみたいに決まってる。
グループで来るべきだろうなぁ、はす向かいの団体客を眺めながらビールグラスを傾けて、茶色い小瓶をトクトク注ぐ。3対7とまでこだわらずとも、4対6、あるいは2対8くらいを心掛ける。泡がないとビールらしくない、泡だらけでも飲みごたえがない。
さて、乾杯。
くぅ…、…、…。っは、はぁ。夏はやっぱりビールが美味しい。お手拭きのビニールを破ってごしごし指の間をこする。すうっと気化熱が気持ちいい。いや、焼き上がりまで時間もあるし、トイレに手を洗いに行てこよう。カトラリーケースにはナイフとフォークもあったけど、きっと手づかみで食べたくなる。

トイレから戻ると、待ち構えていたのかお通しです、とピザの耳をいただいた。こんがり黒い焼き目がついた小さな一切れ。ぽいと口に運んで予感は確信に変わった、ここは生地を食べる店だ。ぱさっと打ち粉が唇につき、カリッと表面に歯を立てるともちぃっと水分を含んだ部分が歯に楽しい。もちもちと噛んでいくと塩っ気とオリーブオイルの風味。これだけでもビールが進む。プレッツェルもそうだけど、小麦と塩気はお酒に合う。

しゅっ、バサッ。すぐ目のまえでは、楕円にまとめられたピザ生地をぽんぽん手で伸ばし、ぱらぱらぱらっと具材を散らばせてはガシュッと窯に放り込んでいる。銀色のオールは狭い厨房で取り回すには少し大きいような印象を受けたけど、窯の奥のほうまで届かせるには必要なんだろう。ざっ、シュシュッ。焼きあがったピザを皿に滑らせ、手際よくピザカッターで切り分けていく。あれかな?あれが私のピザかな?…違った。あ、また焼けた。

「お持たせしました」
きましたっっっ!目の前で出来上がったせいか生放送のようなライブ感。ことりと置かれたハーフ&ハーフ、半面は真っ赤なトマトソースでぺっちゃんこ、 半面は鮮やかなグリーンのソースにチーズやチキンやこんもり山盛り。ぐつぐつ湧き上がるトマトソースはさらっとしている。一枚で頼んでいたら生地の上でソースがとろとろ流れて動いただろう。

まずはマリナーラから。
みょいんと伸びる生地を千切り、ソースがこぼれないよう丸くしならせながら慎重に。あふっ、と軽く熱気を逃しつつ、もちもち、もちもち、生地の弾力を堪能する。トマトソースはフレッシュで爽やかな酸味を感じる。チェリートマトがとても甘く、生地の塩気と香ばしさを強く感じた。いくらでも食べられそう。ごきゅっと飲み込むやもう一切れに手が伸びる。
ぱりっ、スライスしたにんにくに当たった。ぱりぱりと生に近い触感と辛み、鼻に抜ける強い香り。切れ味の良さにビールが進む。ぐ、ぐ、ぐぅっ。

では、季節のピザを。具材が重たい一切れをガブ、…しまった、頬張りすぎた。零れ落ちかけた具を口の中に詰め込んで、わしわし咀嚼する。
ズッキーニのソースは初めて食べたけど、クリーミーで優しい味わい。スライスされたズッキーニはぽりぽりし、鶏むね肉はむちっと繊維感がある。触感が楽しい。モッツアレラはミルクっぽくて甘い。具材が多いせいかいっそ温野菜サラダのようだ。

ピザ、というと高カロリーの代名詞のようなイメージだけど、これだけ野菜を摂取していればむしろヘルシーなのではなかろうか。またマリナーラを齧りつつ、ひっきりなしに行き交うピザ窯を観察する。しゅっと窯の奥へ消えていき、ぱさっと焼きあがって取り出される。滑らかな戸棚が鏡面になり、めらめらと薪が燃える様子が写っている。めらめら、薪から発する熱と湿気の恩恵を今まさに味わっている。一気に焼きあがるピザ生地は表面こんがり、中はもちもちで絶品である。こちらはパスタも人気だそうだ。やはりもう数人応援がいる。あるいは牛のように胃袋を四つ。

ラストは皿に残ったトマトソースを拭うようにぺろりと平らげた。
はぁ、美味しかった。いい仕事はいい道具から、御見それしました。ご馳走様でした。