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魚介のパエージャ

正解がわからない食べ物がある。

例えば、スコーン。ふわふわではマフィンだが、ぱさぱさ、ではなかろう。伝統的に愛されるくらいだから。サクサク、では練りパイとどう違うのか。
小麦粉の味とバターの香りを楽しむ食べ物だから、ホロホロ、がベストではないかと疑っているが、ピンときたものは今のところない。

パエリヤも同じ。
お米をスープで炊き込むスペイン料理だが、日本人のサガなのか、どうも炊き込みご飯、あるいはおじやだと脳が認識してしまう。炊き具合も、もちもち、ならばいいほうで、にちゃにちゃと煮溶けていたり、あるいはごわごわと顎にきたり。アルデンテだと聞いたことがあるけれど、しかしこのごわごわは美味しいとは言えないのではないか?日本風アレンジなのだろうか?食べながらハテナが増えていく。

今回、本場で修業したシェフだと聞いて、わくわくしながら魚介パエリヤをオーダーした。いや、メニューにはパエージャとあったから以後パエージャと言おう。日本語ではうまく発音できず、パエリヤ、パエリア、パエージャ、と微妙に語尾が異なるのだと初めて知った。

名物だというパエージャは4種類もあった。魚介、チキン、ウサギ(!)、そして一番シンプルな具なし。注文を取りに来てくれたシェフの奥さん曰く、米料理は一合を基本にして、そこへ様々な具が乗るため、〆というより肉や魚といったメインとして組み立ててください、具なしも炊き込んでいるスープは魚介と同じスープですよ、との言葉。悩みつつ、せっかくなら、と魚介のパエージャをお願いした。ウサギも気になったけれど、ファーストインプレッションを大事にしよう。

混んでいなかったからか、15分から20分程度で出来ると言う。もう一品、を我慢してここは自家製サングリアを頼む。一合分のボリュームでは残念ながら前菜を楽しむ余裕がない。このお店は数人で来てシェアが正解だなぁ、と実感しつつ未練たらしくメニューを眺めていると、ピンク色がかった紫色がワイングラスにたっぷり運ばれてきた。フレッシュで甘さ控えめなカクテルを氷を鳴らして楽しみつつ、改めて店内じっくり見渡してみる。

入口すぐのテーブルだから、我が物顔でぐるり一望できる。シェフと奥さん二人で回すためか、とてもこじんまりとした店だ。テーブルが四つ、奥のカウンター合わせても30人が入れるかどうか。あ、生ハムの原木が置いてある。そういえば、さっき冷菜のページにハモンセラーノがあった。切りたてで甘い脂身をじゅわっと噛んで、赤ワインでしっとり、も愉快な選択肢だったなぁ。黒板には本日のおすすめの逸品、難点なのはスペイン語なのか見慣れないカタカナが多くて想像がしにくいこと。モルシージャ?って何だろう。

そうして運ばれてきたパエージャは、しっとり茶色く炊きあがったお米の上、ムール貝、エビ、イカ、レモンとお馴染みの具材が彩っていた。豪華な見栄えにそわそわしつつ、スプーンでまずはお米を、ふうふう冷ましながら、一口。

ぶわ、と濃厚なうまみが吹き荒れた。ねっとりと水分を飛ばしたスープが、幾重にも重なる複雑な出汁が、一粒一粒にまとわりつく。美味しい。これは、美味しい。いつまでも舌にのせていたいような味の深さ。
ゆっくりと目を閉じ飲み込んで、もう一口。鉄板に熱せられたスプーンにアチチと頬をすぼめながら齧りつけば、カリッとお焦げのボーナスポイント。あぁやっぱり、このスープはとんでもなく美味しい。そしてまた、お米の硬さの雑妙なこと!
ふっくら炊き上がったお米はもちっと弾力があり、かすかに芯を残してほろりとかたちを崩していく。ほろり、かしり、頼りない感触が幻のようで、つい後を追いかけて顎の動きが止まらない。アルデンテ、なるほど、これが。お米のメインディッシュ、はけっして飾った言葉じゃなくて、堂々コースの主役級。

でも、具だってただの彩りじゃないでしょう、妙な確信をもって輪切りのイカをフォークでぶすり。おや、別蒸しなのかな、柔らかいぞ……。ささやかな気づき、それは何より雄弁に味でもって答えてくれた。くにゃ、ぷちん。柔らかな身は小気味よく皮を破裂させ噛みきれて、じんわり甘さが広がっていく。舌の付け根がじゅんとする。よだれがどんどん湧いてくる。これ、いつまででも噛んでいたい食感。
では、海老は?期待感たっぷりに、海老を首のところで真っ二つ。野蛮に殻ごと体をがぶり、ふわりと海老のあまぁい香り。うわ、うわ、うわぁ。ばりばり音を立てて噛むたびに、ふるふるとろけそうな海老の味。スープに味が抜けているなんてことは全くない。頭のほうは味噌だけ吸おう、そんな考えはすぐに捨て、がりがり、ばりばり、海老の頭も丸ごとごくん。少し大げさに喉を震わせて、ごくごくサングリアで一息ついた。

これは、美味しい。
何度目か、オウムのように頭の中で繰り返し、すみません、とハウスの赤ワインをお願いした。キチキチと、ムール貝を剥いてお米にのせてパクリ。貝のまったりしてほんのりほろ苦い味わいがまた美味しい。もう楽しくなってきて、ぴかぴかしたレモンをぎゅうと絞った。ぱっと飛び散るレモン果汁。いそいそと一口、すごい、濃密な味わいはそのままにレモンの酸味が爽やかに軽く仕上げている。

じっくり、ゆっくり、ワインの肴に食べ進め、いつの間にかぺろりと完食である。
空っぽのお皿、満ぷくのお腹、ご機嫌な酔っ払い。
あぁ、美味しかった。ご馳走様でした。