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「乾杯」というごちそう

『飲みに行かない?』
ぴろん、軽快な音と共に通知が表示された。現在時刻は15時を少し過ぎたところだが、この悪友は私が時差通勤で16時終わりだと知っている。
窓からさんさんと秋晴れの日差しが降り注ぐ昼下がり、了解、と猫のスタンプで返信した。

今年の春先に巻き起こった世界的パンデミック、日本政府が緊急事態宣言を出してから約半年が経過した。
WWⅡ以来未曽有の自然災害は「コロナ以前」「コロナ以後」と揶揄されるくらいありとあらゆる変化を巻き起こしたものだけど、仕事終わりの一杯を求める飲兵衛のサガまでは変えられなかったらしい。

『ごめん、ちょっと遅れる』
『先お店入ってるよ』
ぴろ、ぴろろん。はやくはやくと催促するインコの絵文字に笑みが漏れる。
改札を出たところで駅前商店街への入場規制に引っ掛かってしまっていた。
二メートル間隔のサーモグラフィ列に並びながら、あと五分、と短い返事を打ち込んだ。

数か月前から感染者数はゆるやかな減少傾向に転じたものの、基本的な感染対策は三密、密閉・密集・密接を避けるのみに変わりはなく、依然対人コミュニケーションは制限されている。
仕事は原則テレワーク、出社時はオフィスに最低限のソーシャルディスタンスを保てる人数まで。
飲食店などリスクの高い業種については、各自できるかぎりの感染防止策を講じること。
また経団連によって企業ごとに時差通勤が綿密に計画され、満員電車という単語はほぼ死語になりつつある。
各国が総力を挙げてワクチン開発に勤しんでいるが、まだまだ試薬の域を出ない。

『いま着いた。何番テーブル?』
目的の居酒屋は地下にあった。
いまやそこら中に普及したサーモゲート(こいつのせいで二件め、三件めとハシゴ酒はできないのが残念。酔っ払いは体温が高い)をくぐると、
店内には個室学習塾のように小さな衝立がずらりと並んでいる。
これもすっかり見慣れた光景だ。喫茶店やレストランなど、外食するスペースは個食が基本になっている。

無人のカウンターを通るとリンゴーン、とセンサーが感知して来店を知らせるベルが鳴り、『お好きなお席へどうぞ』とスピーカーが呼びかけてきた。
店員さんは基本店の奥にいて、来客時は真っ先にサーモゲートを確認する。
トレンチコートはハンガーラック、通勤カバンは貴重品以外ロッカーへ。外から持ち込まれるウィルスはなにより脅威だから、どの店でも入店時の対策に余念がない。

そういえば、土足厳禁のお店も増えたからブーツの季節はチェックしないといけない、と幹事慣れした頭が思ったけど、まあ、今年の忘年会はテイクアウトかウーバーイーツでオンラインかな。
アルコールスプレーを丹念に指に揉みこんでから、ようやくウエルカムパネルで空席を確かめた。

個室のちゃちなパーテーションの真ん前上段には、『いらっしゃいませ』と表示されたタッチパネルが吊られている。
その下が小窓。今は閉じられているが、オカモチみたいに上下にスライドして 料理や飲み物を出してくれる。
初めて見たとき、ちょっと囚人めいているな・・・と入ったこともない牢獄を連想したものだ。

ちなみに、オカモチのタイプじゃなくてベルトコンベヤが流れる回転寿司タイプの店も見たことがある。
ただし、灰色のベルトコンベヤは常時消毒液で濡れて黒く、ツンとしたにおいが漂っていて私はあまり好きじゃなかった。
せっかく慎重に慎重を期した外食で、料理がみんな消毒液くさいってのはいかがなものか。

右手には調味料BOXと並んで除菌アイテムBOX。おや、ヒヤルロン酸のハンドジェルがある。消毒荒れに悩んでるからこの気配りは結構嬉しい。
ああ、冬のアカギレ逆剥けのことは考えたくもない。

『8番。もうお酒頼んじゃった』
ぴろん、と端末がメッセージを受信して、待って待ってと急いでタッチパネルを操作する。
パッと切り替わった画面に開いた『同意書』ウインドウにはお決まりのチェック項目が5つくらい並んでいる。
咳や喉の痛み、息苦しさ、味覚異常、全部なし。同意します・・・と。連絡先・・・携帯でいいか、・・・あれ、エラー。ハイフンいらなかったかな?
最後にフルネームを指先でサインして完了。このとき希望すると控えを送信してもらえるので、領収書をもらう感覚で毎回もらう。
支払いを電子マネーにしておけば支払い通知と一緒に受け取れて手間じゃないし。
感染者の移動経路、役立たないに越したことはないんだけど。一応、一応ね。

さ、とりあえずビールでいいか、ビール、中ジョッキ、と・・・。
タプタプとお酒を注文すると今度は年齢確認、続いて飲酒運転禁止のドライバー確認が表示される。確認ばっかりだなぁと思わなくもないけど、それだけ合意が大事な世の中だ。
飲みの体勢が整ったところで、次は友人とコンタクトをとる。

個食ブースなのに、いったいどうやって飲み会をするのか。そこはやっぱりオンライン技術に頼るしかない。
通話アプリを立ち上げて、目の前のタッチパネルから8番テーブルをコールする。ぷぷぷ・・・ぷぷぷ・・・。向こうが了承したら通話がつながる。一度、間違えて他の人を呼び出し恥をかいたのでこの瞬間は少し緊張する。
VRで立体的に通話できるお店も増えたけど、どうも私は画面酔いをする体質のようで積極的には利用しない。ゴーグルセットがこめかみにあたって気になる点もマイナスだ。
最近は出会い系やお見合いサイトもこの手法が主流だそう。マスク着用で三密を避けたピクニックデートか、素顔の見えるテレビ通話かの究極の二択。
それでも成婚するカップルもあるんだから、人って順応する生き物なんだなぁとつくづく思う。

あれ、もう飲んでいるんじゃないのかな。なかなか応答しない相手を待ちながら、布マスクを外して消毒スプレーをプッシュする。
今日は白地に青くイスラム模様がプリントされたきれいな柄でお気に入り。ファッションアイテムの一つになった布マスクは性能や素材も様々で、この冬はフェイクファーが流行るらしい。息苦しくないんだろうか。
壁のフックに引っかけて乾かして、除菌おしぼりでぐいぐいスマホを拭いて待つ。

「もしもーし!ごめん、ちょっとトイレで手洗ってた」
「ううん、こっちこそ遅れてごめん。そっちは飲み物もう届いた?」


テレビ通話なら家飲みでも、という人もいるけれど、それでも外食には捨て置けない魅力がある。


「うん、マンゴー桃酒って珍しいのがあったからそれのロックと生春巻き。パクチー大盛りにしちゃった」
「よくそんなにパクチー食べられるねぇ」
「クセになるんだって。そっちだって相変わらずビールでしょ?」
「労働の後はビールでしょ。おつまみはね・・・あ、来た来た」
コンコン、と軽いノックの後、ガラッと引き戸がスライドされてソワソワと椅子に座り直す。 店員さんと接触するのはこの提供の時とお会計の時くらい、バイトの主な仕事は掃除と除菌だと大学生の弟が嘆いていた。社会人も同じだよ、もちろん家庭だって、となだめてはおいたけど。

お待たせしましたぁ、顔は見えないけど明るく元気のよい声で、重たそうなビールジョッキがまず差し出された。ありがとうございます、あ、食べ物も一緒だ。
卓上に並べられた乾杯セット。右手側にビールジョッキ、左手側に枝豆の小鉢、そして真ん中に堂々と唐揚げのお皿。退勤までは、キノコたっぷりのホイル蒸しとか、秋茄子で日本酒もいいよねぇとしっとり飲むつもりだったのに、帰り道あまりにも気温が高く思わず夏の忘れ物みたいなメニューに路線変更。

ビールジョッキは冷凍庫で冷やされていたようで、持ち手がシャリッと音をたてた。金色のピルスナーは底からしゅわしゅわと細かな気泡が立ち昇り、生ビールならではのもっちりクリーミーな泡を形成する。

チリチリッと個室の空気を高めていくのは油がジュワジュワするようなアツアツの唐揚げ。
一人飲みが基本になって量や個数を選べるようになり個人的にはガッツポーズ。 大皿にどーん!と山積みされたビジュアルが恋しいときはあるけれど、食べたいときに食べたいだけ、揚げたてを食べられるから、量は食べられないけど食べてみたい、というワガママな需要にもマッチしている。

がぶっ!とパリパリに揚がった衣にかぶりつき、唐揚げのあまみとうまみたっぷりの肉汁がドワワワー・・・ッ!といっぱいに広がったところで満を持してキンキンのジョッキをあおり、ぐ、ぐ、ぐ・・・!と幸せの余韻を体の奥に流しこむ。・・・っぷはぁ!と息継ぎをしたらジョッキを置いて、塩気のきいた 枝豆をプツンプツンと唇で食んで一休み。

パッと脳裏に展開しためくるめく酒宴に喉が鳴る。
これ、これこれ。プロの作った出来立て料理。その時その一瞬、刹那の気分で選べるメニュー。すべてをお膳立てしてくれる店員さん。
テイクアウトもデリバリーも充実したけど、お店で食べる楽しさはやっぱり別格だ。好きに食べて、好きに飲んで、好きにしゃべる。たわいもないおしゃべりに笑い転げ、乾杯!乾杯!と何度もグラスを高く掲げる。

「「じゃあ、おつかれさま~!」」
乾杯! 今日も、おいしい、をいただきます。


※この文章はフィクションです。特定の人物、団体とは一切関係ありません。
※5月に投稿した小説の再掲です。あれから4ヶ月、予想が当たったこと、外れたことそれぞれありますが、乾杯というコミュニケーションはやはり大切なものだと感じています。

※キリンビール #また乾杯しよう  コンテストに参加いたします。