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自分の心と向き合う・芦田愛菜さんの言葉

彼のスマホをのぞいてしまって以降、私は私の心を保つのに必死であった。
たくさんの哲学系の本を読んだり、動画を見たり。仕事に没頭したり。

子どもの頃から悩みを誰かに相談するのは苦手だし、
こんな悩みを相談されても相手は困る。正論返されても私は困る。

忙しく予定を詰め込んだ。
「あー。美味しいなぁ」「あー。綺麗だななぁ」「あー。楽しいなぁ」と自分の感情が彼に向かないように必死な日々。
スマホを見てしまってからの数日間よりはマシ程度の心境が続いた。
(つらい100%から95%ぐらいにはなった…)

以前は私から彼を誘うことがあったがそれはやめた。
しかし、彼からのお誘いに嬉しくなっている自分もしっかりいる。
何も知らない顔をして彼と会う。
感情がグチャグチャな部分もあるが「どうしたものか…」と超冷静な部分もあった。

静かにもがいている時に、芦田愛菜さんの「信じること」について語った動画を見た。(「芦田愛菜・信じる」で動画検索してみてね)
『その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とする人物像をその人に期待してしまっている。裏切られたというわけではなくて、見えなかった部分が見えただけであって、その部分もその人なんだ』というようなことを言っていました。

「確かにーーー」
すぅぅぅぅっと自分の中に吸収されていくのを感じた。

その動画は家族の形を描いた映画の宣伝なので、
『見えなかった部分が見えた時に揺るがない自分がいるってことが信じられることなのかな…』と話は続きました。
『でもその揺るがない自分の軸を持つって難しい』と。

もし家族の中で見えない部分が見えた出来事があったら、私は家族を信じるだろう。新たに見えた部分をも信じるだろう。
きっとその選択をした方が私自身が幸せだから。

彼に置き換えるとどうか。
芦田愛菜さんの言う『その揺るがない自分の軸を持つって難しい』
うん…難しい…
家族に対しては揺るがない自分を選択できる。難しいとは考えられない。
あれ?
ん?
難しいよね?
軸、揺らいでいいよね?
「彼は私を裏切ったわけではない。私は彼の知らない部分が見えただけ」
それを踏まえて、私は彼への気持ちが揺らぐことを選択することができた。

それまでは彼に対して「どうして?」と考えていた。
その答えは彼しか持っていないのだから私が答えを出せるわけはない。

それが芦田愛菜さんの言葉を自分に置き換えて考えることで答えが出てきたような感覚。自分軸で考えることができたみたい。

つらさ100%の時に読んだ本や動画の言葉が「そうそう!その調子!」と後押ししてくれた。

そう。私は特別ではない。
彼と浮気相手が出会ったのも、私と彼が出会ったのも、その後、友達と彼が出会ったのも同列。
彼にとっては自然な(?)行動。
いいなぁと思う人が現れたから行動した。本能のままに。
そういう人だったってだけ。

それを踏まえまして。
私は彼を諦める方向に舵を取ることができた。
嫌いになれたわけでもないし、まだ諦められたわけでもない。

でもこれは私にとって大きな前進。
(つらい95%から50%くらいまで減った)

これが2年前くらいの出来事。
この辺りから私は私を大切にし始める。

思い出しながら書いてる。胸苦しい心境の私を癒してくれている。
ありがとnote

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