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「書く瞑想」やってみたがうまくいかず。

「書く瞑想」本を昔読んだ。
そして昔それをやってみた。放電と充電
放電は、エネルギーが出ていく事柄。イラッとしたことやムカついたを書く。充電はエネルギーがチャージされるような楽しいこと、嬉しかったことを書く。
そのあと、まとめとかがあるのだが、なんだか義務感的(書かされている感)が毎日襲ってくるので窮屈になって7日間ほどでやめてしまった。
良いことはともかくネガティヴなことを「吐き出す」のは自分には向かないなぁと思った。
日記に残っていることで再び見ると思い出したく無いことまで思い出させてしまう。ムカムカした感情がまた蘇ってくるのは嫌だった。

今、2023年の1月ごろに書いた日記をみてる。
コミニケーションの問題で悩んでいる状態を思い出した。

そういえばその時のプロジェクトはどうなったのだろう。結局拗れて、プロジェクトは途中で頓挫した。設計はしたが、中間に入る会社が多すぎ調整が難しかった。労力多く、利益薄し(いまだに費用は不履行)
そういうとき、建設的に考えるとすればどうするだろう?

これを乗り越えることができれば・・・
「書く瞑想」を続けていたら何か手立てがあったのかも知れないが。
いや、そんなことを考えるのはやめよう。


今は、1月25日から初めた5年日記を継続中である。

縛りが全く日記は私には向いている。最初は、「今日は弁当が美味しかった」「遅刻した」まるで小学生の日記のようだったが、いまでは結構書けるようになってきた。
よく書くことで頭が整理されるというが、そのことを意識して「整理するんだ」という思考で日記を書くと一文字も書けない。

肩のちから抜いて、浮かんだ気持ちをらくがきするような感覚で日記を書いている。目的意識なんかどうでもいい。まわりくどい文章や、繰り返し同じ言葉が出てきても気にしない。誤字、脱字のことも考えず書く。
そう、ネバ、ベキという意識が本当に書きたい意識の邪魔をするのだ。

「手が書いている」感覚。手の中に別の人格があってそいつが勝手に文字を書いている・・・そんな感じ。時々見返してみると不思議なのだが、日によって全く筆跡がちがうのだ・・・まったく別人が書いた文字のように見える。

そして、その日記の効果は・・・・
それは、まだわからない、これがわかるとすれば、一年後。以前の日記を見てどんなふうに感覚や問題の捉え方が変わったかを書いてみたい。
また、ストリングスファインダーが一年経ったらどう変わったかを見てみるのも良いかも知れない。


目的意識をもつこと、ゴールセッティングすることがモチベーションのガソリンになる。と世の中で良く言われるが、私の場合はそれが達成できていないのを毎日毎日見る。そしてその気持ちを味合うことが出来てない自分を感じさせるネガティブな力となってモチベーションを下げさせる。
こんなことをしていても無駄じゃ無いのかと・・・・

だから私は、目的を掲げない。ルールやネバ、ベキ。に縛られるのは自分のやりたいという前向きなエネルギーに見えない重い鎖をつけられいるようで嫌なのである。

その日のできること、やりたいことをする。
やらなければならないこと。という意識が最近薄れていった。これは昔に比べて格段の心の成長だ。たとえ嫌なクライアントからの無茶振りであってもやらなければならないこと、とは思わず。自分の中でやりたいことに変換してからそれをする。
そうすると、変な気持ちの澱みがなくなり、その仕事(タスク)の結果にフォーカスして最短で仕事を完結できる。

昔は、そんなふうに思わなかった。なんでこんな理不尽な仕事を私がやらないといけないのだと思いながら仕事をしていた。無論、一生懸命にやってはいたが、気持ちの中に前向きさが無くなると、格段に仕事のクオリティは低下する。

どんなきっかけ?いきさつ?で気持ちの持ちようが変わったのか?
今はこれを言語化できないが、いづれ書いてみたい。


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