昭和の教育にはけっこう翻弄された

学校の先生にはいろいろな人がいます。そしてクセが強くて迷惑だった先生に対しても、いいトシになった今は事情も分かって許せてしまうのが普通です。

それでも今でも釈然としない先生がいたのも事実。
私の場合、高校時代の化学の先生です。

今は分からないのですが、昭和時代の都立高校はクセの多い先生が沢山いました。そもそも親同様、戦争体験者が多かったですからね。教員の傍ら学者や文化人をやっていた人も珍しくはありません。
有名な俳人でもある先生もいました。(学校特定されそう(笑))

その化学の先生は非常に厳しい人でした。実験で失敗は絶対許されず、もし何かしでかしたら、昼休みや放課後に試験管洗いなどの罰が待っていました。(奴隷制度と言われていました)

まあ実験はそれだけの慎重さをもって臨めということもいえますが、生徒はしょせん素人です。確率的に誰かは失敗します。そしてグループでの連帯責任をとらされます。

それだけならまだしも、例えば宿題が非常に難解で、習った範囲の応用では絶対解くことは不可能。もちろん普通の参考書を参照してもダメで、インターネットなど無い当時は、図書館に出向き大学で習うような本を探しました。それでも全然分からない。たぶん超進学校の生徒でも、何人が回答できるかどうか…

当然中間・期末試験も難しく、ある試験の平均点は14点なんてこともありました。私もそんなもんです。

今だったら大問題になるでしょうが、当時は昭和だったせいですかね。あの高校には、化学に厳しい先生がいるよ程度で済んでいたのかもしれません。選ばなきゃいいだろって意見もあるでしょうが、当時は悪名高き学校群制度があってですね、勝手に振り分けられたのです(^-^;

しかし同僚の先生方には当然評判が悪かったようで、藝大出の音楽の先生などは授業中に露骨に非難していましたね。まあ生徒にグチられてもって感じですが…

一番悪かったと思うのは、大した意味もないことで他人の時間を奪ってしまうことです。化学にばかり時間と神経を奪われてしまうと、当然他の教科は疎かになります。それじゃあ他の先生方はたまったもんじゃない。

いや大学受験に向けて要領よく指導する先生がいいとは思っていません。しかし今流にいえば、時間の制約を考えずに無理難題を課すのはダメな人です。他人に負担をかけて自分の信念?を通すのは大人のやることじゃない。しかし会社だったら許されないことが、当時の教育現場では何となく通っていたのでしょうね。

後年その先生はある有名高校の校長や学会の理事などになられ、出世されたようです。権力志向が強かったのかな?ちょっとガッカリです。

私はもともと理系が好きでその方面の進学を考えていましたが、この面倒臭い先生と3年間付き合うのが嫌で、結局文系に進みました。他にもそんな生徒は沢山いたでしょうね。3年生になって8クラスのうち理系クラスは1つだけで、いくらなんでも少な過ぎます。化学Ⅱとかやりたかったんだけどなあ。

結局この先生から得たことは、奴隷制度の試験管洗いを通じて、試験管の汚れを落とすには洗剤だけではダメで、最後は指で丁寧に擦らないといけないということだけです。乾燥したら一目瞭然(笑)
おかげで今でも食器洗いの濯ぎはかなりしつこいです。

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