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「優しさ」を哲学する


突然ですが皆さんは
「優しさ」とは何か
と考えたことはありますか?

優しさは、人間関係や社会全体に確実に存在しています
ただそれは概念である為、私たちは「優しさ」を観測することはできません
でも確かに私たちは優しさというものをそれぞれの主観の中で理解し、認識しています
その認識は、私たちが築いてきた人間関係をより良くし、社会全体をより強く結びつけるために必要な要素と言えるでしょう


「優しさとは何か」
それぞれの中に答えが存在するような問いではありますが、この記事では「優しさ」についての私の考えを共有させていただきたいと思います

目には見えないが確かに存在する「優しさ」を感じられる人間になる為に、今日は「優しさ」について一緒に考えていきましょう!


1. 優しくない人は存在しない

私は優しくない人というものは存在しないと考えています
「そんなわけない!優しくない人を私は見たことがあるぞ!」という意見が飛んできそうです。

では質問です。

あなたはいつでも優しい人間ですか?
いつどんな時でも優しい人間だと言えますか?

少し厳しいことを聞いているように思えますが、私も自分自身がいつどんな時も優しく生きることができているとは思いません

世界では色々な出来事が起こっています。誰もが予想できなかったことの連続の中、人々は振り回されながら生きています。
その中で優しくいるということはとても難しいことです。

これを踏まえると、あなたが優しくない人だと感じた相手は、優しさを欠かしてしまう状況に身を置いているだけだという風に考えることができます。
だからあなたが見た相手の一部分を、その人の本性としてしまうのは間違っているのです。


2. 「顔」と「余裕」の繋がり

人間は様々な「顔」を持って生きています。それが先ほどの話です。
優しい顔、優しくない顔
それが状況によってどちらが出ているかというだけという様に考えれば、
優しくない人は存在しないという風に考えることができます。

その状況に一番影響しているものが「余裕」であると考えます。

人間が持つ「顔」は、今の心の余裕、金銭の余裕、時間の余裕など、その人を取り巻く様々なものにある余裕によってどの面が表に出るかが決められているのではないかと考えました。

優しくない人だと感じた相手は、何かに追われて苦しんだ結果に余裕がない。
そのせいで本性とは違った部分が前に出てきてしまっているのです。



3. 本当の「優しさ」

 以上を踏まえた上で、私は「優しさ」というものは「余裕を持ち合わせること」という風に考えます。

人はこの地球上に住んでいる限り、常に優しくはいるのは難しいと考えています。

現代ではSNSが急速に普及しており、今自分の周りで何が起こっているか、自分以外の人がどのような生活をしているかということがよりわかりやすくなりました。これはメリットでもありますが、不安や焦りを募らせてしまう要因にもなっているとも言えます。

その焦りや不安は間違いなく私たちの「余裕」を奪っていくでしょう。

まずそんな世界に生きているということを自覚すること

次に、相手も同じ世界に生きているということを思い出すこと

そして、余裕が生まれるまで待つこと

余裕が生まれた時、あなたはあなたの本性を知ることになる。それはあなたの本性=優しい顔を知るということです。

そしてそれは目の前の相手も同じことです。相手に余裕が生まれた時にあなたはその人の本性を知ることになる。
見えた本性は優しさに溢れているはずです。

その時を待つ余裕を私たちは持ち合わせるべきで、そういう考え方こそが「優しさ」だと私は思うのです。



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