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俺はこんな時代に映画『食人族』が劇場公開されることを祝いたいのだ

2023年5月5日ゴールデンウィーク真っ只中。大手配給会社が全世代向けの大作映画をドロップしているなか、サードウェーブ配給会社のエクストリームは、あろうことか1983年日本公開の『食人族』を今時期にぶちこんできた。『ドカベン』でいえば、不知火に対して犬神を当てる以上の格好である。俺はこれを祝いたい。

昨今、“いき過ぎたポリコレ”が映画の感想とともに批判的に語られることが多い。例えば、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を評するときに、「ポリコレ的観点がない故に世間に受け入れられている。にもかかわらず批評家はポリコレが満たされていないから映画としてはダメという評価をしていてクソ」だとか、実写版『リトル・マーメイド』が「原作とは異なる外見のアリエルはいき過ぎたポリコレじゃないのか」といったそれだ。

俺はそのどちらにも与できない。何故なら映画におけるポリティカルコレクトネスは、そうした前景化する表面とは関係ないところにあると考えているからだ。(上に挙げた例だけでなく、ルーカス・ドンへの、ピーター・ディングレイズへの、スパイク・リーへの的外れな非難が頭に浮かぶ*1)。なぜそう考えるようになったのか。それこそ『食人族』の政治的正しさを知っているからだ。

『食人族』はその作品名の通り、食人をする部族についての映画である。物語としては、探検隊が未開の部族のもとを訪れて、そこで行われている(先進国的通念においては)暴虐的異常な生活を記録するのだが、そのうち探検隊側が部族に対して暴虐的異常な振る舞いをとり、挙句しっぺ返しをくらう……といった一連をフェイクドキュメンタリーとして描く、といったもの。

と、上の一段落を読めばわかるとおり、『食人族』において、スクリーンに映る物事は政治的に正しくはない。食人という人類的禁忌をそのままに描いているのだから当たり前だ。正しさのかけらもない。しかし、だからといって『食人族』を政治的に正しくない映画と評すことはイコールになりえない。

映画を一度見ていれば(きっと)誰もがわかるとおり、『食人族』は探検隊サイドの非文明性にフォーカスを当てている作品だ。異文化同士の接触(Close Encounters of the Third Kind)のすれ違いを描いたうえで、文化の差に高低をつけた探検隊の振る舞いを傲慢なものとして描いている……その情けなさたるや……という具合。要は“文明人”が“部族”に対して向けた非理性的な眼差しがスクリーンを通過して鑑賞者側に突きつけられるのが『食人族』なのだ。

俺たちと探検隊にはどんな違いがあるのか……? そう突きつけてくるのが、『食人族』の根源的テーマに違いない。

スクリーンに映っている物事の政治的正しさよりも、スクリーンに映っている物事はなぜ(作り手によって)そうなったのか。そして、それは、いったいどのように、物語に通底するテーマに貢献しているのか、そのテーマはいったいなんなのか、鑑賞している我々はそれをどう受け止めるのか……こそが映画の政治的正しさを測る物差しになる得るわけだ。「原作ではアジア人俳優が演じていた役を白人が演じているのはおかしい。これはポリコレ的に誤っている」なんていう価値判断基準は映画を読み解くうえで不毛な話であることがほとんどだ。エンジンこそが重要なのだ。そして、映画における政治的正しさは、センシティビィ・リーダーに推しはからせる/推しはかられたものを享受するのではなく、自らが判断していくほかないわけだ。

……と一気呵成に書いたが、これは俺の考えであって、「俺は映画のポリコレ関連についてそういう見方をしている」という話に過ぎない、のかもしれない。ただ、スクリーン上の表面的な行為や配役といった些細な諸々でポリコレであるか否かを測ることは愚かだと考える立場を取りたい、と同時に、政治的に正しい、つまり、歴史的・制度的な抑圧を受けてきた人たちの上げる声や行動は支持していきたいし、同性愛者や黒人やユダヤ人、そしてアジア人を詰っていた旧い時代の再来は願わない。平等を求めることをマイノリティの専政と解釈する人に与するつもりもない。だからこそ、昨今の「ポリコレ」に関する批判には鼻白む気持ちがあるわけだ。

映画『食人族』には、終盤「(探検隊たちに向けた)真の野蛮人はどちらだろうな」という台詞がある。この台詞はセクスプロイテーション一辺倒に消費されること(それ自体は時代的になんらおかしなことではない)への、製作サイドの目配せ・気配せだったのかもしれない。しかし、その台詞こそ『食人族』に通底するテーマだろう。画面上に映る絵がいかに残虐であろうと、いかに非倫理的な人間の行動がスクリーンに映し出されていようと、“先進的”人間性の倫理観に猜疑心を持たせようとするエクスキューズこそが、言わずもがな『食人族』のテーマなのだ。これこそが政治的正しさに違いないだろう。「ポリコレ」について過敏に反応するこの時代において、『食人族』をドロップしたことを俺は祝いたいのだ。本当の政治的正しさとはいったいどういうことなのか。そういうことなのだ。

なお、劇場公開にあたって、入場者特典には高橋ヨシキ氏デザインのポストカードが配布されるとのこと。イケている。最寄りの映画館に足を運ぶしかない。

*1 配役のいちいちにケチをつける人たちに対しては、例えば、性的マイノリティな役者が性的マイノリティな人物を演じなければいけないのであれば、翻って、その役者は性的マジョリティな役を演じることが不可能になるということをどう考えているのかと思う


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