見出し画像

#12 他人の幸せと自分の幸せ

遂に私以外の大学時代のサークルの同期が全員結婚した。


私達は大学を卒業してからも定期的にランチを食べに行っていた。
このメンバーでご飯を食べに行くと大体恋愛話になるため、アロマンティック・アセクシャルである私は話に入りづらく聞き役に徹していた(その当時はアロマンティック・アセクシャルをはっきりとは自認していなかった)。
私は別に恋愛話を聞くことが嫌いというわけではない。
しかし
「30歳で彼女いない男とかやばいよね」
というような偏見に満ちた発言を以前から話しているのを聞いていたりしたため、正直このメンバーの恋愛話には辟易していた。
そのためランチ会もあまり参加していなかったのだが、あまりにも参加しないと心象悪くなるかな……という弱気な考えを持った自分は久しぶりにランチ会に参加することにした。


2020年のコロナ禍前、私は池袋で久しぶりに同期のランチ会に参加した。
幹事は持ち回り制で、私は今まであまり参加していなかったため自分から店探しや予約をした。
ランチ会は予想通り今までと同じく恋愛話が殆どだった。2時間全員の恋愛話を聞くことに徹していたが、久しぶりに会うみんなが元気に過ごしていたこと、そして以前のような偏見に満ちた発言等はなく穏やかに時は過ぎて行った。
そしてそろそろ会計をしようか、と席を立った時メンバーのうちの1人が私にこう言った。


「kumaも早く彼氏ができると良いね!」


え?



私は突然の言葉に驚きながらも「あぁ……うん……」と返した。


上にも書いたが、私はこのランチ会では殆ど聞き役に徹していた。
彼氏が欲しいなんて一言も言ってない。
その当時彼氏がいなかったメンバーが「相席居酒屋に行こうよ!」と発言しても私は「自分は行かなくていいかな……」と断っていた。

「女性は彼氏が欲しいのが当たり前」という認識がこんなにも浸透しているとは思わなかった。
楽しかったランチ会、しかし最後の最後で一気に悲しい気持ちになった。

ランチ代を支払う時「どうして私今こんな悲しい気持ちでお金を支払っているんだろう」と虚しくなった。

自分の気持ちを勝手に決めつけられた悲しさ、恋愛至上主義を実感してしまった悲しさ、色々な悲しさが心の中を渦巻きその時の感情は今でも定期的に思い出される。

それから約3年半経ったが、その間にどんどんサークルの同期は結婚していった。
そして先日も結婚の報告があり、遂に私以外全員既婚者になった。

おめでとう、幸せそうで良かった、その気持ちは本当だしLINEでメッセージも送った。
みんなのInstagramを見ても幸せそうだ。

でも私は女性のパートナーと暮らすことに憧れている(阿佐ヶ谷姉妹さんのような関係性)。
また、私は女性への恋愛感情に憧れているが男性と付き合いたいとは全く思っていない。

私にとって彼氏をつくる、男性と付き合うことは「幸せ」ではないのだ。

好きな動画を見ること、漫画を読むこと、絵を描くこと、好きなアーティストの曲を聴くこと、好きなキャラクターを愛でること、好きなダンサーのダンスを見ること、友達と遊ぶこと、カフェに行くこと等…………これらが現時点での私の「幸せ」だ。

自分の幸せ・多数派の幸せが「私の幸せ」とは限らないし逆も然りだ。



SNS上では日々様々な議論が交わされているが、それぞれの話題に関して色々自分でも思うことはある。
しかしこの出来事を思い出す度に「自分の考えが全てではない」「自分と考え方がいる人がたくさんいるのは当たり前」と考えるようにしている。


幸せの感じ方も物事の考え方も人それぞれ。
当たり前のことではあるが、忘れないようにという自戒を込めて。


kuma

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?