気にしてくれてることを、示してくれるありがたさ

次男は、大人の足で徒歩一分ほどの保育園に行ってる。

帰り道にこれまた徒歩一分とかからないドラッグストアで毎日お菓子を買って帰ってきてるが、そんなに種類はない…

昨日は「スプラトゥーン3グミが欲しい!!」と泣きじゃくられてしまった。

実は日中、長男の習い事送迎の時立ち寄ったスーパーでそのグミを見かけ、先日欲しがってたけど今日も欲しがるかわからないし、と買わずに帰ってしまったばかりだった。

同じようなことは長男でもあった。長男は遠くの保育園まで行ってたこともあり、じゃあ別のスーパーも見に行こう!とお迎えから帰宅までに1時間近くかけたりもしていた。その頃はまだひとりっこだったり、次男はいても転がってるだけだったりしたので、帰宅後に再度出かけて買いに行ったりもしていた。

結果切実な希望は通るものと知った長男は、今とてもいい子に育っている。

が、次男については悪いがそんな余裕はない。明日には買ってきてあげるから…と何度も言い、それでも収まらないでいる感情に寄り添うこともなく、「他のお菓子は?」「いらないの?」「もう会計行くよ」と冷たい言葉を投げかけ続けてしまった。

そしていよいよ、「もう行くからね!」とあからさまな態度で冷たくレジに向かった時、必死にこらえた表情で別のお菓子を持ってついてきた。
それまで大泣きだったがレジでは私の後ろに隠れ、押し殺すように泣いていた。可哀想だし、自分が日中買わなかったミスや後ろめたさに襲われる。

次男はやっと歩けるようになった頃からずっとそのドラッグストアに毎日行っているので、店員さんも顔馴染みである。

成長がゆっくりな次男をいつもニコニコと迎え入れ、数年かけて本当に徐々に徐々に、言葉を交わすようになった上品な雰囲気の女性店員さんがいる。

いつもはおとなしい次男が珍しく泣いてる様子を見て、通りすがりその店員さんが「どーしたの?」と、

本当に

本当に

絶妙なトーンで

話しかけてくれた。

私を責めるわけではない。

次男に適当に声をかけたわけでもない。

介入できるところじゃないってわかってるけど、おばちゃんは君のこと、ちょっと気にしてるのよ〜っ

ということだけが伝わってくる、一言の「どーしたの?」

そのまま店員さんは棚の向こうに消えていった。

この一言に救われた。

鬼みたいになってしまってる時の母親たち。外から見てるとこどもを攻めてるようだけど、実際は自分のことも同時に同じくらい責めている。

それでもそうするしかない時もある。

そんな時、無視するのでもなく、過度に干渉するでもなく、「どーしたの?」とこどもに一言かけてくれることのありがたさ。

というひと言を書きたかった。

同じようなこと、できるかどうかはわからないけど、できるようになりたいし、少なくとも大袈裟にありがたみを感じる人間ではあり続けたいと思っている。

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