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「心をわかるなんて思わなくて良い!?」

ことわざで「一を聞いて十を知る」とありますよね。
物事の一端を聞いただけで、その背後にあるそれに関連する多くのことを理解できるという意味です。
非常に賢く理解力があることの例えとして使われる事があると思います。

中には教育をする上で、このことわざを引用して「一を聞いて十を知れ!!」と使う人もいるのではないでしょうか。

素早い成長

効率のよい成長

手をかけなくても伸びてくれる成長

などを願ってでしょうか。

それは最短最高効率が良い事だということを教えたいのでしょうか??

確かに勘所のよい人は、一(部分)を聞くだくで、十(全体)を理解できることもあるでしょうね。

ただ、僕たちカウンセラーが扱っている「心」はというと

一を聞いても、その一を理解することがとても難しいことを実感しています。

どうでしょう!?

相手の気持ちを汲み取るって難しくないですか。

この世の中は人それぞれの感じ方の世界です。

一人ひとり微妙な感じ方、受け取り方が違うものです。

その微細な違いを、一聞いたからと言って、一理解することはとても難しいことです。

そうならば、十を聞いて一を知ることでもすごいことなのかも知れませんね。

あなたはどう思いますか?

人の心を理解することも、一を聞いて十を知らなければならないですか。

あなたが誰かに理解してもらうことを最短最高効率でできることが愛だ!と思っていたら

不可能に近い事ですから、恐らく常に満たされない思いが募って、苛立ちになったりしてませんか。

人の心を理解することは簡単ではありません。
でも、理解できないわけでもありません。

大事なことは「理解する努力、知ろうとする努力」なのでしょうね。

心理学者カール・ロジャース博士は
「変えようとするな、まずわかろうとせよ!」と言いました。

「まずわかれ!」ではなく

「まずわかろうとせよ!」なのです。

完璧に「わかる!」ことは難しくとも、「わかろう!」と努力できることはたくさんあるのではないでしょうか。

「君のことはわかっている!」よりも「君のことを知りたいんだ!」という姿勢の中に「愛」は存在しているのではないでしょうか。

自分自身に対しても同じです。

「自分のことはわかっている!」と思えば思うほど
思うようにならない出来事に出会い、コントロールできない感情が湧き上がると、自分を責めたり、苛立ったりしてしまうものです。

逆に、「何十年生きていても未だに自分の心を完璧にわかるなんてできない、だけど一生かけてでも自分の事(自分の心)を知りたい!」という姿勢で生きている人は、突然の出来事に、どうしようもない感情に直面しても

「まだまだこんな自分がいるんだ!また新たに自分の事が知れたな!」

と、どんな時の自分も受け入れていけるのだと思います。

そう言う人は自分を愛してると言えるのではないでしょうか。

あなたが心を知るために早さや効率よりも、わかろうとする努力を続けられますように!

今日も自分を愛してください!

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