見出し画像

文化系の謎キャリア・インタビュー⑦ 松田ミネタカさん 舞台写真カメラマンを知っていますか?

(記事担当:森田華)

舞台を観劇したことはありますか?

私は現在、大阪大学ミュージカルサークル「みーあキャット」に所属している。名前の通りミュージカルサークルであり、年に二回公演を行っている。このサークルの中で私は、キャストとして舞台に立つことはもちろん、広報、振付演出など舞台の制作にも関わっている。

そんな私がとても大切にしているものが「写真」だ。半年に二作品、そして各々たった一回きりの公演のために毎日努力している私たちにとって、舞台本番は成果であるとともに思い出でもある。そのため、その一瞬を切り取る写真は、唯一「この瞬間」を残せるものであり、大切な存在なのだ。また、広報の仕事をするうえでも写真は重要な役割を果たす。舞台の魅力を言葉のみで伝えることは難しいし、動画だと時間を有するため気軽かつ瞬時にはその魅力を伝えられない。情報があふれる今、目を止めてもらうには0.5秒で興味をそそるものにしなければならない。だから、写真は非常に重要な要素になってくるのだ。

そんな舞台本番の写真の撮影を担当してくださっているのが、今回取材をさせていただいた松田ミネタカさんだ。主に関西圏で活動するミネタカさんは、Twitterを中心としたSNSで撮影した舞台写真を投稿している。その写真を見た舞台関係者が彼とコンタクトを取り、そして彼は実際に舞台に赴き写真を撮る。その後、その写真を関係者にデータで送り、さらに撮影した写真を厳選して投稿するのだ。その数は月に2〜3公演、多いときは5〜6公演にもなるそうだ。このような活動サイクルを描いて舞台写真撮影を行うミネタカさんは、私たちの公演の舞台写真を毎回無償で撮影している。そう、彼は私のサークルを始めとする学生団体には無償で撮影を行っており、社会人団体などには有料で撮影を行っているのだ。サークル団員は毎回ミネタカさんが撮影する写真を楽しみにしている。自分たちが半年かけて全力を尽くして創り上げてきた舞台が写真として形に残るのだから。

さて、今回インタビューしようと思った理由は3つある。

1、なぜ約500枚に及ぶ写真を無料で撮影提供してくださるのか気になったから
2、なぜ舞台写真専門で撮影しているのか気になったから
3、舞台人としてカメラで撮りたくなるショットを知りたかったから。

この疑問への回答はもちろん、沢山の素敵な写真を撮影してくださるミネタカさんのユニークな考え方をこれからお伝えしてゆこう。

松田ミネタカさんインタビュー時の様子

舞台写真カメラマンになった経緯

「特別写真が好きというわけではなかったんです。」

そう口にするミネタカさんは、学生時代、神戸大学演劇研究会である「はちの巣座」に所属していた。舞台活動をする中で常々考えていたこと。それは、記録に残すことの大切さだ。音声も動きも物語も全て伝わる動画でもよいかもしれない。しかしその一方で、動画は広報としても人に伝えるためにも俊敏さに欠け、遠距離で画質も悪く舞台本来の力も伝わらない。つまり動画は長くて、一目で魅力を伝えられないのだ(それにデータも重い!)。ならば、「写真を撮って記録に残すことがいいのでは?」と考えたらしい。

一方で就職活動を始めた際、「演劇をやっていた」と発言しても具体的に何をしたのか聞かれ、考えが詰まった経験があったようだ。舞台活動はその時のみの「生もの」であるため、どうしても言葉では伝えきれない。このような思いから「舞台を撮影しよう」と考え、一眼カメラを購入し軽い気持ちで始めた。ミネタカさんはこのようにして、ご自身の演劇経験とその中で記録にまつわる考えから舞台写真カメラマンとして活動を継続しているのだ。

大阪大学みーあキャット 第10回公演 「メリー・ポピンズ」@なるお文化ホールの様子。(アイキャッチ写真含め、すべての写真は同公演より。松田ミネタカさん撮影・提供。)

ミネタカチャンス

「ミネタカチャンス」という言葉がある。サークルの団員が創り出した言葉であり、ミネタカさんが本番に撮ってくれるであろう構図、表情、シーンのことを指し、練習中に相手を評価するとき、指導するときに用いる。目立つ、面白い、可愛い、かっこいいという感想や、あるいはそうなってほしいと思う時、私たちは「ここミネタカチャンスやで!」「最高!ミネタカチャンスやん」と発言する。そのことをミネタカさんに伝えると、「本当ですか、知らなかったですその言葉!」と驚いていた。

一方、ミネタカさんはこうも語る。

「外してしまうことも多いです。まるで音ゲーのようです。」

小劇場、大劇場とサイズ感が違ったり、演目の内容が違えばそれに伴い、ミネタカチャンスの狙いやすさも変わるようだ。大劇場で踊りながら話が展開されることが多いミュージカルは特に難しいとのこと。上手(かみて:舞台に向かって右側)でメインキャストが歌い良い表情をしていたら、次は下手(しもて:舞台に向かって左側)で10人のアンサンブルが踊っているシーンを想像してほしい。舞台間口は20メートルほどになるため、最低でも端から端の移動は5秒かかる。しかも、停止しているのではなく立ち位置が変わりどんどん動き回るため、音ゲーのように曲に合わせて、踊りに合わせて、カメラのシャッターを高速で切る感覚なのだ。また、20名程が舞台に乗った場合は、個別の写真は妥協して、望遠レンズで全体を撮影することを心がけているとのことだ。その為、小劇場だと選定後で500枚、大劇場では選定後で2000枚程度の写真を撮影する。あくまでも選定後であり、本来は数千枚に及び数えたことがないとのこと。そして、最終的に使用したくなる写真は10/1程度になるそうだ。

「本当のミネタカチャンス、つまりミネタカさんが写真を撮影したくなる瞬間はいつですか?」と尋ねてみた。舞台であるため、お客様を意識して身体を前に向けるなどの基礎的な舞台上での動きが出来ている人をカメラに収めたくなるそうだ。また、表情、身体表現が魅力的な人もカメラを向けたくなるらしい。そして、カメラマンとして徹するため舞台を見すぎない、目で追いすぎないようにもしているらしい。

カメラマンと写真家の違い

「舞台写真家」。ミネタカさんに対して私がぽろっと口にしたことがある言葉だ。その時、ミネタカさんは「カメラマンと写真家って定義が違うと思うんです」とお話を始めた。舞台写真を撮ることに対しては違いがないが、「自分の作品として撮影し、コンテストに出す」と「ただ撮ることに徹底する」ことの間には違いがあるらしい。写真家は自分の作品として撮影するため、撮影するときは撮影者がどういうものを撮りたいかという基準がある。つまり、まず「撮影者」ありきで、その後に「撮る対象」があるのだ。逆にカメラマンは「撮る対象」が先に存在していてそれを撮る。「撮る対象→撮影者」といったイメージ。ミネタカさんは言葉のニュアンス、違いに注意して肩書を名乗っているのだ。

「細かいですが……」とミネタカさんは口に出していたが、この細かいところがとても重要だと私は思う。「文化系」の活動は一見何をしているかわからなかったり、数字や言葉で明確に表せないことが多い。今回の記事の背景にも、こういった「わかりにくさ」というテーマがある。数十年前に比べると、娯楽や芸術、世界にある「モノ」や「コト」が多様化し大量に発生している。それに伴い、一言では表せないぐらいに「仕事」や「活動」が細分化されている。世間に馴染みはないが、どこかの誰かに刺さるようなこと、誰かがやらなきゃいけないこと、様々な学びと経験を得たがゆえにできちゃうこと、「言葉で表せない」けど面白いこと、とにかく多様な文化の創造の担い手が増えたのだ。安定した生活を送れる人が増えて、AIも多様化し、今まで以上に仕事や活動、日常生活が効率化している。そこにゆとりが生まれ、こうした文化の創造がさらに増えるのだろうか。

その点に注目するうえでも、肩書というものはどういう意味を持ってこの言葉なのかしっかり考えてつけることが大切なのかも知れない。これらは舞台写真に限らずとも、日常生活のシーンでも言える。例えば、カメラを持ってお出かけして、「インスタに写真を挙げたいからそこに座ってこんなポーズして」と言って撮ったら、「写真家」になる。カメラを持ってお出かけして、「わあ素敵可愛い」と言って対象の自然な姿を撮影したら「カメラマン」になる。この言葉のニュアンスの違いでその行為に明確な名前が付き、分類分けされやすくなり、「言葉にできない」が「言葉にできる」に変わる。そういった行為が文化を創っていく、残していくうえで重要なのだろう。

ミネタカさんは、カメラマンだ。舞台でパフォーマンスする人の自然な姿を撮影して残し、劇団と劇団員の写真として提供するカメラマンだ。つまり、自然体なもの、決まってないものをその場の自分の感性と直感と技術で撮影する。だから、ミネタカさんの写真は生き生きした演者の息が伝わるような写真が出来上がるのだと思う。

文化系人口を広めるための一つの手段に過ぎない

現在、学生団体のみに無償で撮影を行っているが、かつては全団体に無償で撮影を行っていたというミネタカさん。元は、自分が写真撮影する場探しと互いの宣伝方法として、団体との需要供給が成り立つ中で撮影していたそうだが、今はそうじゃない。もちろん、ずっと無料で続けたらキリがない。他にも「文化的問題」に直面する理由があった。

「金銭が発生しない=価値がない」の構図が生まれ、「する価値ゼロ円=される価値ゼロ円」になってしまうことに危惧を感じたのだ。また、舞台写真を撮影するという行為に価値をしっかり数値的に示すことによって、他に舞台カメラマンが増えることやカメラマンの仕事を確立させやすいだろう。例えば、スポーツカメラマン個人だと1回3万~5万円、法人だと3倍近くになる中で、ミネタカさんが舞台撮影する際に発生する賃金は5千円~1万円となり非常に低いとのこと。商業的、かつそれなりに有名な大きい舞台では有料で撮影したが、それでも「金銭に余裕がないから値段を下げてくれ」と言われたこともあったという。これが文化系の現実だ。スポーツカメラマンないし、スポーツのように古くから歴史があり、商業的に行われる仕組みが確立しているコンテンツはある程度数値的に価値が示されているが、舞台関係はそうではない。舞台そのものも価値を表しにくいものであり、それを撮影する側の金銭となるとその対象のわかりにくさに比例して価値を示しにくくなる。また、写真も舞台も共に価値を数値的に表現しにくく、感情や感性、価値観に左右される芸術だ。そのため、金銭を確立させることが難しい点が課題だ。

まとめとインタビューを終えた思い

インタビューを終えて、いつもお世話になっているミネタカさんに感謝の気持ちと劇団員がミネタカさんの写真を楽しみにしていることを直接伝えることができた。まず、その点に満足した。ミネタカさんの写真を就活で使う人、自分のプロフィールとして登録する人など、団員は自分がこの舞台に立ったという記録を残していただけることで、活動の価値を人に伝えることが出来るのだ。

また、ミネタカさんにってのカメラマンと写真家の違い、撮影する側の価値やされる側の価値、そして文化系としての金銭的な価値にまつわる重要なポイントなど、今後の課題を当事者の口から聞けたことで、改めて考えさせられた。ミネタカさんがおっしゃっていた、今後AIが増えることによって、人間は事務仕事などよりも、芸術や娯楽などの感性に影響を与える表現活動をメインに仕事にしていくのではないかという話について。現代社会で生きる人々はみな何者かになりたがっている。だからこそ、そのなりたい欲望を表現に移していくそんな未来が来るかもしれない。こういった考えは、舞台人としても、またプロデュースを学ぶ大学生としても、自分自身と未来の可能性を感じる良い機会となった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?