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5月24日だから

 今日書かなくてどうするという話なので書き出しからそんなかんじで今日はまいります。ハッピーバースデー、わたし! あ、おねがい、読むのやめないで!!

 例年ですとだいたいこの日は野球は見ることになっていて。この日がお誕生日の田中浩康さんを見に行くわけです。出場するとファンがハッピーバースデーソングを歌う。自分もその中のひとりなんですが、たくさんの人が自分に向けてじゃなくてもその日にその歌を歌うのを聴くのってなんだか面白い感覚。

 そんな感じで何年もそうやってきて、楽しい誕生日であった日も、どん底のようなその日も、球場で、忙しい日はテレビの前で喜んだり救われたりしながら過ごしてきたんですけど、今年はそれがない。だって、引退しちゃったんだもの。

 今更のようにちょっと紹介しますが、田中浩康さんは東京ヤクルトスワローズと横浜DeNAベイスターズに在籍した元プロ野球選手。私が「同じ誕生日の選手がヤクルトにいるんだ、へー」と選手名鑑を見ながら存在を知り、それまでの生活と時間の使い方が変わり野球を見る時間が出来て野球観戦の趣味が復活した2011年から、カープを見るために神宮によく行ってた頃…まだカープはクライマックスシリーズにも出たことがない、下位の常連だった頃ですね。いつ見に行ってもなんかじわじわと出鼻をくじいてくる選手がいる。同じ誕生日のよしみで言うことを聞いてくれと切に願うんだけれども全然言うことをきいてくれない。ああそうか、こっちがここでなんとかなればってときにこそテンション下げるようなことをしてくる相手選手は、つまりすごくいい選手ってことだ、と、一周回ってそこに気づいて「よし、カープとは別枠で応援しよう」と思って以来応援してきたのが田中浩康さん。自分が見に行ったときにそのタイミングで活躍してくれる選手、っていうことですもの、面白いものを見せてもらえないはずがない。応援チームの枠を外して見てしまえば悲喜の感覚が逆転する。きっと自分の見たいものを見せてくれる相性の選手だ、と。

 ええ。そうやって特別枠で応援してきていた選手が引退してしまったので、プロ野球に関してはわりと気持ちがぬけがらなんですよ。そのチームにいるからその流れで応援するよ、じゃなくて、ライバルチームだけど自分の意志で好きで見てたと言える選手だから。カープはずっと応援してるし好きではあるけど、少し引きで見ている部分がある。

 さて。誕生日っていうと、私の親は私のうまれた日のことを話す時、「あの日は五月なのに真夏みたいな気温でね、お産が大変だったからお父さんはNHKで巨人中日戦中継があるのを『CMなしでゆっくり見られる!』と喜んでたけど結局見られなくなっちゃってねえ」と、巨人中日戦の話を必ず絡めてくる。こういう家に育ったからこういうスポーツしか見ないような子に育つってほんとわかりやすいですね。って、それじゃなくて、お産がたいへんだった、っていう話。

 状況的に母も私も命がないかも、という状態だったらしく、どっちを優先して助けるかって話になっていたと聞いた。母は「どっちも助けて」と言って譲らなかった、つまり諦めずにいてくれた、っていう話。感情を絡めないように淡々とした言葉にするとこんな感じになっちゃうけれど、自分が育ってくる中で母の考え方接し方には納得できない部分は多々あったんだけど、今現在「こんな親に育てられたせいで」的な感情よりも「まあ、親も子がいて親として成長してくわけで」と思えているのはその時自分を産む決断をしてくれた、というのが大きいのだと思います。そこにはもう何も勝てない。そこまで賭けてくれたんだったら…という気持ちになりますね。

 今では母は「あなたをもっとのびのび育ててあげればよかったのかもしれない、よかれと思っての結果だったんだけど」と言っていて、それに対して「いや、よかれの範囲が狭すぎるでしょ」って怒りじゃなくて笑って返せるっていうのはある意味幸せなのかなと思います。いろいろあって怒りが大きかった時期もありますけど、こちらも年齢重ねていくうちに母のできてたことを私も同じようにできるか?と考えると自信がない分野もいくつもあるなと思うので、「そんなことないよ、お母さんは本当にすばらしい」とはとても思ってないけど、「自分だったら他に考えようはあったとは思うけど、多大なる感謝はしている」というかんじです。思ったことを思っていないフリをしないでよくなって、でもへんな空気にならないように表現するってことはできるようになった。我慢をしないでも笑っていられる関係性にちゃんとなりつつあるかな。でもそれって、健全な親子関係だとも思うんです。親子っていろんなことを経てそうやって親子になっていくんじゃないかな、と素直に思っているから。最初から出来た親である必要もないし、互いにぶつかることが多々あっても向き合うのを拒否しなければ、ある意味順調と言えるんでしょう。

 自分の出生時がかなり緊迫した状態だったということなので、今まで子をもちたいと思ったことがないのは自然かもしれないな、と自分で思います。出産って親も子も命がけなんだって物心ついてないくらいからずっと聞かされているわけですから、相当な覚悟がないと子なんてもてるわけがないと自分が思うのも無理はないな、と。今ではさすがに子をもつことを積極的に考える年齢じゃなくなってるのでまわりも期待しないでくれるのはちょっと助かるんですけど。

 …そして今年は、巨人広島戦を巨人ファンのおねえさんたちと一緒に見る予定です。私、対戦チームのファンの人と一緒に試合を見るのが結構好きなんです。普段はカープファン目線でずっと見ているんだけどそれとはちょっと違う目線で見ている人たちと意見が出会う瞬間が面白い。

 カープファン目線で「(対戦チームの)あの選手、ほんとよく打つよね。イヤなイメージしかない」と言うと「え?そんなことないでしょ」って答えが返ってきたりする。もちろん逆も然りなんですけど、そのチームのファンであるより対戦チームの選手として見てる方が選手の評価が高かったりすることがある。そういう違いが面白いんですね。

 最近は球場スタンドのそれぞれのファンをより明確に別エリアにわけよう的な意見を目にすることもあるんだけど、そうなったら自分は本当に残念。他のチームのファンの人とああだこうだ言いながら見る野球が面白いと心から思ってるから、いろんなチームのファンの人が一緒に見て、時に対戦チームの選手の良さを語ったりして交流できる場でありつづけてほしい。そういうシーンは幾度となく神宮球場で目にして来ましたから、その空気はなくなってほしくないんだよね。そのためには相手のチームに対するリスペクトがとても大事。それをだんだん感じられなくなったら多分ホームとビジターきっかりわける、みたいな方向に行っちゃうと思います。

 2013年だったと思うんだけど、スワローズのバレンティン選手がワンシーズンの本塁打日本記録に並んだ試合。広島戦で神宮球場に見に行ってたのだけど、あの時の光景は忘れられないです。打たれた側のカープファンもみんなスタンディングオベーションしてました。試合に勝ってた、ということもあるんだけどもう一斉にみんな立ち上がって拍手してた。そのあともカープファンがバレンティンコールをしていた。

 野球って、本来そういうもんだなって思うんです。本当にすごいと思ったら、味方相手なんか関係なくなって称えたくなっちゃうんですよね。そういう気持ちのエネルギーで場が満たされた時、更に大きな感動が上から降って来たりもする。その場にいた人にしか受け取れないプレゼントだったりするんだけど、そういうのを感じ取りたいから足を運んでしまう場でもある。野球のみならずスポーツ全般そうなんじゃないかなと思います。その空気感はなくなってほしくないな。そういったことから感性が育つ、これからを担う子供達もたくさんたくさん見に来ていることと思う。

 誕生日ってまわりに感謝する日だというけれど、本当にそうだなと思います。結構な年齢になっても、振り返るとたくさんの人たちに心のエネルギーをもらって日々生きてると思う。

 そうやって頂いてるエネルギーを鏡みたいにお返しすることができたらな、って思い描きながら更に生きていこうと思うのです。

誰かの心の平穏やきらきらを取り戻すお手伝いがしてみたい。