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心のエネルギーの計算って大事

 最近ストレスが体に出やすくなった。

 年のせい…っていうのも当然含まれると思うんだけど、以前なら「まあしょうがないな」で終わるような些細なことがきっかけ(としか言いようがない)で熱が下がらない日が続くとか、胃痛が何日も続くとかそういうことが起きやすくなった。

 ストレス由来だって思うのは、これがストレスなんで改善しないと、って動くと治るから。「こういうことを続けられると困ります」と誰かに意思表示することも含まれる。

 自分の性格がこういうのを引き起こしてるなあ、っていうのはよくわかる。溜めてから言うほうだし、ひとつの出来事を何年ももやもやしたまま抱えてることも気づくと結構ある。意識の中ではそのつもりはないんだけど…今回は胃痛が酷くてちゃんと自分と向き合わないとまずいなあと思ったので色々と思い当たることを引き出していくと、自分の中で未解決だけど強引に納得しようとしてしきれなかったこと、たくさん出てきた。

 よく、「心に溜まっていることを(紙の)ノート等に書くといい」って言うんですけど、私、一人で事象に向き合って言葉にしていくと負の感情が増大して収拾つかなくなるんですよね。つらかったことを言葉にする作業を内側に向かってやっていくとつらさが大きくなってしまうので、故に人に話さない、だから溜まっていく、というループを繰り返してしまう。罵詈雑言書いて破って捨てる、という方法も聞くんだけど、罵詈雑言書くのってかなりエネルギーが必要で、他のことが手につかなくなるくらいに疲弊する。だから自分が日々に挟んでいく作業としてはあまり現実的じゃない。

 なので今回、一人で向き合わずに夫に話し相手になってもらうことにした。

 これが自分にとってはいい塩梅だったんです、一人で文字にして向き合うと、書いてる間中その文字にある言葉のエネルギーと対峙する形になるから余計疲弊するんだけど、相手に話をするということは感情的に話をしては伝わらない。だから理性を保った状態で「説明」をする形になる。そうすると発した言葉を追従するように状況が整理されてくる。

自分の状況が正しく把握できていない

 それまで自分が認識してた状況はこういう感じ。
「人にされる期待に応えられていない。明らかにこうしてほしいと思ってることはわかっているし人にも指摘される。でもそれを遂行しようとすると激しく自分が抵抗する(故に体の痛みになる)」でもこれだと、なんでそうなるんだろう、自分は期待に応えたいと思っているしそれをすればすっきりするはずなのに、と。

 でも、話してるうちに見えてきたことがある。
「そもそも自分のおかれている環境そのものが相手との間でフラットになってない」ということ。この件について説明すると、こちらがある要素は飲み込んで中立な条件でない状況を承諾しているが、それと同等の別要件を相手方がこちら側に対して譲歩している部分がない、という状態であること。

 それがあるのに「○○をした時に期待に応えたことになる」というのを別要素で持ってこられると、「いや、自分は○年この状況を飲んでますけどそこは無視?」っていうのが残るわけです。

 なのに、そのことを自分含めて関与してる全員が忘れていた。だから「あなた今月会費1000円払ってない。みんな払ったわよ。」って言われると「確かに1000円払ってないから払わなきゃ」って思うんだけどなぜか求められすぎのような感覚に陥る。でも原因がわからないから、こんなことでもやっとする自分に混乱して自己嫌悪に陥ってしまう。

 やっと気づいたんですよ。「いや、もう会費分に相当するものは既に払ってるよ」ってことに。

 言うなればイベントの材料を調達したのは私なんだけどその分の徴収の話は一切出ないで、会費は全員から徴収で妥当だと自分含めた全員が納得しちゃった状態ね。忘れてるけどそれはイーブンじゃないよね、っていうことなんだけど、自分の頭の中の「これは適正に処理された」って書いてある情報と違うから自分の内部がずっと混乱している状態。それを無意識下で「それぞれで認知してる状況に差異がありますけど」「原因がわからない」ってずっとぶつかり続けてきたような感じ、なんでしょうね。そりゃ不具合出るよね、って思う。

 それが判明したとき、「これこれこういう状況だから、そこを期待されることは妥当じゃないです」って理論的に説明して「期待を返せてない」と思う必要がなくなるのでもやもやがひとつ消えてくれる。

 結構こういうこと、みんな気づかず抱えてるような気がする。

小さいことって思ってると、すぐ堆積してしまう

 これとは別のことで人に言われたことを何年ももやもやしていて、でも話すほどのことじゃないかなあ、って思ってたことを話の流れで夫に言ったときのことなんだけど。

 人に言われた言葉に傷ついた、っていうよりも「この人と一緒にいるとボロボロになってしまいそう」と思ったことがあって。それに気づいたときに接点をなるべくなくすようにしたんだけど、周りに一緒にいた人たちにとってはちょっと不思議に思ってもいたんだろうな、と思うとまたもやもやしてしまうループ。

 たまーにいるタイプの人だけど、悪気がない雰囲気で意地悪をいくつもナチュラルに織り交ぜられる人で、強い人の影に隠れられるタイプの人ね。少しひどいなと思って反論するころには「その人がそんなことするはずない」と他の人に庇ってもらえるような状況を作れてる人。だいたいそういうのって外堀埋めるのが雑になったりするから衝突するけど、上手な人は本当に上手なんで、しばらくその人がそういう人だということに気づかないの。

 私の場合は「この状況下でこれをわざわざ言うということは、暗に火種を作ろうとか私を疑心暗鬼にさせようという以外に出す話題じゃないな」と思って一度は「そのことはよくわからない」と答えたけれど、なお別の例えで同じようなことを言ってきたので「悪気がないんじゃなくて私が自信なくすような話をしたいんだな」と気づいた。

 表現は例えだけど、念願だった仕事ができるようになった(その人に全く興味がない仕事)、という話をしたときに「よかったですね、自分も嬉しいです。でもそれ、別の人の方が適任だって話出てましたよ」とか「××さんの方が結果出してたけどな」のような返しって普通はしないので、一度かわしてもまだその話続けるってことはよっぽど私が気分を害するとこを見たいんだなってことになるんで、別にがんばって一緒に時間を過ごすこともないな、と。また、「誰々さんにこんなこと言われましたー」って親しくない人相手に泣ける人なんで、自分が頼られてるのかと勘違いしそうになっちゃいますよね。

 本当に漫画に出てくる人みたいだなあと感心しちゃうけど、そこに気づいてないと猜疑心と不安でいっぱいになるようなことをたくさん植え付けられるから、まあ、離れてるほうがよさそう。そういう人。

 ひとつひとつのことだけ取り出すと、まあ、仕方ないかで流すことができなくもなさそうだし、共通の知人の輪の中にいるような人だと「実はこれが引っかかってて」って話は周りにしづらいから、うまく身をかわすのがなかなか難しい関係性っていうのも世の中にはありますよね。

 そんな話をひとつひとつしていくうちに「あ、これ、どう考えても許容範囲外だな」って気づいた。

 一個一個が我慢できなくもないものだけど、その数が多いな…とか、よく考えたらこれ一個だけでも自分的には「こういう人は信用できない」に当てはまるなあ、とかいろいろ出てきた。

 一緒にいないといけない相手でもないのに「我慢できなくもない」ってことで他の人と同列にしておくってのは無理があるよね、本当は。必要なときに必要なやりとりをすればいい相手であって無理に仲良くしよう、良いところをどうにか見つけようなんてすることもないし、なんの違和感もなくやりとりできる相手と同じ場所におくことはない。

 これも自分だけでメモ書きしながら羅列したところで冷静にジャッジできないので、夫に聞いてもらって「それはちょっと行きすぎてるかも」って反応を得て「やっぱそうだよなあ」って一区切りできたこと。

 仕事で相対する相手だったら、仕事の必要な会話以外しない、としてしまったら別になんともない、なんてことは過去にありましたけど、世の中には「個人としては突き放したいなと思うけど、その場の空気を変にしないために和やかにしておかなきゃ…」みたいな関係性も多々あるよね。そういうことで身動きできなくなっちゃうような状態にあるひともたくさんいると思う。

 身近な人が、共感しないまでも困った現状らしいってことだけでも把握しててくれると楽になったりはする。それをお前の努力が足りないからそうなるみたいに言われちゃうと心の居場所がなくなっちゃうよね。

 人はどうあれ自分的には一発レッドカードです、みたいな、どうしてもされたくないことっていうのはそれぞれにあると思うし、そこは無視するものじゃないということよね、無視してると体に出ます、私みたいに。

 私の場合は、「溜めるタイプ」っていうよりも単に「出資したものの計算がへたくそ」ってことなんだなー、という気がする。

 自腹で出してるの忘れてるから「こっちをやってるからそれに出せる余力がない」が出てこない。なんにもしてないのになんでこんな疲れてるんだろって思ってるのはやってるの忘れてるからです。

 他人の状況に合わせて動くことってエネルギーいるんだけど、それを計算に入れてないで100%エネルギーが残ってるものとして計算して動こうとするから不具合が起きる。

 逆の立場で考えると、人のエネルギーを無意識に奪ってるかもしれないなってちょっと怖くなる。ひとつひとつのことは小さくてこちらは全部忘れてるかもしれないけど、相手にとってみれば顔合わせるたびに殴られてるようなもので、それを「致命傷になってないんだから別にいいじゃん」って痛みを負わせてる側が言える立場にないことだもんね。

 時間も手間も気持ちを寄せることもみんなエネルギーだし、使えば減るものだから、使ってる量の把握だけはちゃんとしとかないといけないな、って思いました。

 ご飯が美味しく食べられなくなるのだけはもう金輪際いやだもの。美味しいものを美味しいと思って食べて幸せと思えるのも、健康であるが故だもんね。それぞれ自分をいたわりましょ。

誰かの心の平穏やきらきらを取り戻すお手伝いがしてみたい。