【雑談】AIは「見えないことにする」ができるのか?
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この記事は、Podcast「にゃおのリテラシーを考えるラジオ」の2024年4月13日配信の書き起こしです。
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にゃおのリテラシーを考えるラジオ
読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書と IT 時代のリテラシーを中心に様々な話をしています。
今回のタイトルは 、
【雑談】AIは「見えないことにする」ができるのか?
というものです。
AIのことを考え続けること
土曜日は日頃考えていることを適当に話しています。
僕はAIのことを考え始めてから40年以上になります。
と言ってもただ考えていただけでちゃんと研究してきたわけではありませんし、当時はまだハードウェアが未熟な上にネットワークへのアクセスもまだまだで、もちろんインターネットなんて夢のようなものでしたから、大半の期間をAIなんて幻想だなと思いながら過ごしてきたのでした。
実際、最近生成AIが芽吹き始めた感じがしますが、それでも現実の世界で実用になるにはまだ少し時間がある状態ですから、僕の人生はAIを現実のものとするには少し早い時期に始まってしまったのだろうなと思います。
ただ、十代の頃に考え始めたことは案外ずっと引きずるもので、時代ごとのAIと呼ばれるものについて考える癖は、そろそろ還暦という今になってもなくならないのです。
今流行りの生成AIは、過去のAIと呼ばれるものとは比べ物にならないくらい知能っぽい動作をしますが、人間にとっての脅威という文脈で語るほどではないな、ということが少しずつ分かってきているような気がします。
空を飛べないから人間は飛行機に絶対的に劣ると言う人はいないように、人間よりも知的処理が早いからといって、全てにわたってAIが人よりも優れているとはやっぱり言えないのですよね。
その違いはどこなのだろう?という疑問の持ち方は、40年前とあまり変わっていないのです。
生成AIの振る舞いはとても知的に感じるものではありますが、それは結局人間が必要とする処理を行うものであって、それ以上でもそれ以下でもないような気がするのです。
人間がどう感じるかが大事
多分、大事なことは人間が必要とするということなのですよね。
で、ここには人間の認知というものが関わってきます。
もっと簡単に言うと、人はどう感じているのかということのような気がします。
感じるというのは主観ですよね。
僕たちは他人が感じていることをそのまま感じることはできませんが、感じることに価値があるとは思っています。
逆に言うと何も感じないものには価値がないのです。
AIが何かの処理を行って結果を出したとしても、そこから何かを感じるのは人間です。
人間にとって価値がないものならそれが存在する意味はありません。
こんなことを考えることがあります。
自分の目で見ている景色とカメラで撮った景色は一致しないものだということです。
人の視覚はありのままを見ているわけではなくて、自分の好みの部分だけを見ているのです。
それだけではなく、認知に都合がいいように脳内で改変されているのです。
よくある目の錯覚は、そういう人の認知の癖みたいなものから現れるものなのです。
自分の見ているものが現実と少しずれているということは、撮ってみた写真で微妙に違和感を感じるということで分かります。
人間は二次元で描かれたものを立体的に感じることができますが、この時に認知しているものは、目に入った光を脳内で都合よく変換したものなのですね。
これは人間が生きていくのに必要だから作り上げた脳の仕組みです。
人が見たときに錯覚を起こす図形をAIが同じように錯覚するかというと、これはなかなか難しいというか、AIにとっては意味のあることではないような気がするのですよね。
人間はそこに存在しているものを見ても気づかないことがあります。
網膜には映っていても存在しないことにしてしまうことがあります。
一般的にそれは良くないことと思われることが多いですが、あえて見ないことにしていると捉えることもできます。
見方を変えるとそれが人間の感じ方を表しているわけです。
これ、主観的というか恣意的ですよね。
これが感じるということであって、AIがそれを代行することに意味はないというか、AIが出す結果を解釈して何かを感じるのは結局人間なんですよね。
将来はわかりませんが、現在の生成AIにできていることは人が感じるための材料を便利に提示してくれる機能だけなのではないかと思うのです。
これは、今まで存在してきた機械や道具と大きく変わらないのではないでしょうか。
結局のところ、便利にはなるけれど恐れるほどではないのですね。
もちろん便利なものにはたまに事故を起こすことがあるということを忘れてはいけませんが。
自分でも何を言ってるかわからなくなってきました(笑)
まあでも、こんなふうに40年間その時々のテクノロジーについて考えてきましたが、正直なところ生きていくのに脅威を感じるようなことはまだ起きていません。
もしもあと40年生きたとしてもそれはあまり変わらないのではないかと思います。
楽観的すぎるでしょうかね。
今回は、AIは「見えないことにする」ができるのか?という話をしました。
今日はここまで。
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今日もワクワクする日でありますように。
千葉直樹でした。
ではまた。
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