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今生きている

noteを綴り始めて約1ヶ月。すっかり忘れていた…いや忘れようとしていた日々の事を振り返ってみようと思う。

2015年10月7日乳癌と診断される。

この日の私はかかりつけの乳腺外来クリニックに1年に1度の定期検診の為に受診。いつもと変わらずエコーとマンモグラフィを受ける。

この定期受診は、数年前に就職の為に健康診断書を提出する必要があった時、  1度位しっかり人間ドックとやらを受けてみようと思い受けた事がきっかけ…初めての検査ばかり。

結果、乳腺精密検査がひっかかる。その時癌に成りやすい予備軍であると告げられた。就職先では基本的な健康診断だけで良く、本来乳癌検診は必要なかったのだが…

その時も針生検を実施したが、ありがたい事に結果は良性の腫瘤。しかし半年後また受診するようにと。私は欠かさず受診をした。結果問題無しが数年続き次回から1年後で良いとの判断で2014年10月14日にも受診している。

そしてその翌年の2015年10月7日いつものようにエコーとマンモグラフィーの検査の後、診察室へ。

いつも優しい医師が早口で「気になる所があるんよね」???

詳しく説明が始まる。マンモグラフィには写っていないけど、エコーに今まで無かったもの 7×5×5mmの小さな腫瘤があるので針生検とMRIの検査で確認したいといった話だった。

頭がボーッとしてくる。取り急ぎ次の診察日を決めて帰宅。

その時は流石に落ち込んだが、これからもし癌になっていたら仕事やその他諸々各所相談していかなくていけない事が山ほどある。

段取りを取りつつ、再受診、検査。

結果はまた後日。

再度受診。やはり、医師が判断した通り悪性の乳癌。手術の出来る病院への紹介状を書いて貰い大きな病院に受診したのが、2015年11月2日

大きな病院はきっと手慣れているのだろう。時間はかかったが色々な検査を実施し、その日のうちに診察となる。

そこには若くはつらつとしたとても素敵な女性の医師が。検査後の症状の説明へと進む。その医師が執刀医になるという事だった。その際説明で印象深かったのは、「早期発見で良かったですね。おとなしいタイプの癌と思われますが、もし手術をして転移しているのが分かり、部分切除ではない方が良いと判断した場合どうしますか?」だった。私は「すっぱり取って下さい」と即答したのだが、付き添いで話を聞いていた主人のほうが思わず「え~っ💦」と息を飲んでいた。

私にしてみれば癌細胞があるのに取らない選択肢は無かったのだけど。

入院と手術日が決まる。

2015年12月3日入院

2015年12月4日手術

左乳房部分切除術+センチネルリンパ節生検。

もちろん、手術中の事は麻酔が効いていたので全く分からないが目が覚めた時、管やコードがやたら身体についていてTVのドラマのようだなぁと思った事と、元々腰を痛めていたのでベッドに寝ているのが苦痛で仕方がなかった事が、強く記憶にある。

心配していた転移もなく、手術後問題も無かったので5日後に退院し暫く自宅療養。

その後の受診で手術後の病理検査で得られた結果の説明がある。ホルモン療法と放射線治療をおこなうとの事だった。

この日からホルモン療法により毎日タモキシフェンを1錠服薬する。
これは5年間は必ず!

翌年1月13日から放射線治療。

連続で24回。日曜日などで出来ない日もあった為1月13日~2月15日まで放射線治療をうける。

入院前日から放射線治療終了まで仕事は休んだ。有給と傷病手当の申請により毎月の給料も全額とはいかなかったが貰うことが出来とても助かった。

家庭の金銭的にも休む事はかなり辛く職場にはすぐに戻りたかった。まずは電話番だけでも助かるからと言って貰い職場に戻る事ができた。

介護の現場にはなかなか出られなかったが少しずつ出来る事を増やしながら日々が過ぎていった。

手術後の後遺症

今でも傷口がズキズキと痛む時がある。ストレッチもしてはいるが、昔の様には伸びない曲がらない。生活に支障がない程度、ただ弾みでアイタタァとなることもあるので気を付けないといけない。

服薬しているタモキシフェンの副作用も結構しんどい。人により違うと思うが、更年期の酷い状態が続き自律神経がおかしくなってのぼせ、ほてり、発汗これは冬でも衣類を着替えるほどだった。そして身体の全身の痛み。交感神経と副交感神経が上手く働かず筋肉か常に緊張状態でかなり仕事するにはきつかった。毎日痛み止めがないと起きていられなかった。休みの日は寝込んでしまい情けなかったが、月曜日になるとアドレナリンが出て元気に仕事をしていたような気がする。少し今は和らいでいる。

放射線治療の後遺症

大した影響はないが、放射線治療した箇所は今でも汗をかかない、毛もほとんど生えない。なので体温が38度に片側だけ上がったりする。コロナ禍になってうっかり治療したほうで計測し焦った事があった。

私は術後5年経ったので、タモキシフェンの服薬もこれまでの検査結果に問題がない為、止めるか止めないかの選択が出来るようになった。

手術をしてから次の12月で丸6年経過する事になる。この節目にタモキシフェンを止める事を決めた。人によりまちまちらしい。

癌は再発するかもしれない、しないかもしれない。これは誰にも分からない。

これまで見つけられなかった癌を見つけようとする研究は進み新聞で報道されたものもある。

希望は捨てずに今やりたい事を後悔しないようにやっていこう。

読んでいただきありがとうございます。思い出しながら、領収証を引っ張り出しながら書いてみました。

今私は生きています。生かされていると思っています。少しでも人の役にたちたい、そんな思いでこれまでも過ごしてきました。そしてこれからも自分の為に、人の為に出来る事を少しずつやっていこうと思っています。

本当にありがとうございます。

今日も明日も良い事がありますように