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勉強をする意味 アキレスと亀の差こそが差延

コ○ナ禍において、この「勉強をする意味」が最も鮮明になった気がします。人間が犯す間違いパターンにベーコンのイドラをよく引用するんですが、

種族のイドラ 素朴な勘違いによる誤解 普通に考えたらそうじゃね?
洞窟のイドラ 個人の体験に囚われた誤解 俺はこうだったから
市場のイドラ 権威主義 マニュアルや偉い人が言ってるから
劇場のイドラ 附和雷同 みんなが言ってる、やってるから

素朴な勘違いや体験に囚われた間違いは全然いいと思うのです。少なくとも自分の頭を使った上で間違えてるのだから。このパターンは本人次第でいくらでも改善の機会があります。

では、どの間違いが問題なのかというと当然、権威主義と附和雷同パターンです。自分で考えて判断をしていないのだから、間違いを指摘しても、疑問を呈しても何の効果もありません。そもそもが自分があってるか間違えてるかの認識すらないのではないでしょうか。

こうなると怖いのが、他人に騙されるパターンです。個人が勝手に騙されるのでしたら、個人に被害が返ってくるだけですから自己責任で片付けて良いのですが、誰かが意図的に騙しにかかってる場合はどうでしょうか。または、戦略的に集団を誘導しようとしている場合は。

別に、陰謀論を唱えようとしているのではありません。そもそも陰謀の一つや二つ練るくらいはするんじゃないですかね。ビッグデータで傾向性を分析し、社会心理学で次の一手を推しはかるくらいは経営者だってするわけでして。

で、重要なのはこっからです。「勉強はなぜするのか」と言う問いの答え。子供やに聞かせるに相応しい模範解答。それは「騙されないようにするため」じゃないでしょうか。悪意善意は問わず、他者からだけでなく自分にも騙されないようにするために、常に現状を把握し分析し判断する「ものさし」を持つ。これが勉強の目的に対する模範解答でしょうか。

コロ○で炙り出された日本の現状は「専門家の言うことを鵜呑みにする他分野の専門家」による権威主義と附和雷同の押し付け合い。とんでもない処方箋も渡されてるにも関わらず、「頭が下がる思いですよ〜」と感謝をするアホの醜態。

そして、最も重要なのが、かつて学んで習得した「ものさし」が過去のものになっていて、「ものさし」自体が権威主義となっているケースもあり得ると言うこと。

勉強はどこまですればよいのか。脱構築の隙間が発生している限り、アキレスが亀に到達できない限りは、「どこまで」と言う問い自体が不毛でしょう。

最後に、私は勉強が嫌いです😨

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