「成果を出そうレース」の残酷さ

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https://cakes.mu/posts/29163

Twitterのタイムラインでたまたま見かけたのですが、男性の私としては身につまされる話だと思いました。

私はどちらかというと「成果を出そうレース」から逃げよう逃げようとしているのですが、それでも小さい頃からの刷り込みとか、世間からの目とかは厳然と存在するなぁ、と思います。

これは、以前はほとんどが男性しかいなかった「日本の企業社会」独特の価値観なのか、資本主義の国ならどこにでもある競争の原理から来るものなのかはよくわかりません。

ただ、私の身の回りでも「競争の原理」とはあまり関係ない世界に身を置いているのは女性の方が多いなぁ、とは感じます。これは働いているかどうかに関係なくです。それはなぜなんだろう、となんとなく思っていました。

一つには「共感」の問題があるかもしれません。いろんなことに共感する感覚があると、ある一つのことだけに変に集中することがない。これがダメなら人生終わり、なんてことがない。

男性の自殺者が多いのは
「競争からの敗北」=「人としての価値の消失」という考えが
まかり通っているからというのも大きな理由の一つだと思う。

この考えから脱却するためには、自分だけでなんとかする、というよりも「共感」できる人や価値観を増やしていくことが大事なのではないかと思います。つまり「競争」以外に自分の拠って立つものを増やしていくこと。

やはりドツボにはまって孤立するのが一番つらい。自分の力だけではどうしようもないピンチとか危機とかは必ずある。そこから逃げるというか「別の方向」に進むことのできる力。必ずしも「前向き」でなくてもいい。横向きでも斜め向きでもなんでもいいから、とにかく「別の方向」に進む力は、「共感」できる人や価値観から生まれるような気がします。

ただ、難しいのは、「共感」できる人や価値観を見つけるには、何らかの形で「立ち止まって」探さないといけない。これが、立ち止まることを許さない競争社会とバッティングしてしまう。ということは立ち止まるための「思い切り」がどこかで必要なのかもしれません。そこに「残酷さ」から抜け出すための鍵があるのかもしれません。

人はみな
ただ存在しているだけで
価値がある

これが大事、という主張にはうなずけるものがあります。ただ、それはいろんなことに価値を見いだせる感性のようなものが必要な気がします。

そして、そういう感性を持つ人は日本の社会でも増えているような気がします(特に若い人は)。そういう人が増えれば、「成果を出そうレース」という奇妙なレースは、いつしかいい方向に変容していくかもしれません。

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