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タモリさんと地層

自分がどうなりたいか、という話になった時に、数字や「何をしていたいか」という具体的な形にして話すのが、僕はまだ得意ではない。

得意ではないのだけど、言う度それ以前よりしっくりくる感覚と共に口を突いて出てくるのが、いつも「タモリさんの様になりたい」だ。

自分の滑稽さすら愛しんでそう

少し前にブラタモリが終わるらしいと聞いて、人となりをそのまま映したような、澄んだ瞳に映る素敵さを視聴者にも自然と感じさせてしまう、時めく作品との別れが寂しくなった。

僕がタモリさんに憧れる大きな理由の一つは、タモリさんが面白がる達人であることにある。

歴史も地質も好奇心と共に学ぶと、あそこまで瞳が輝くのかと思わされる。そういう意味では西北の杜の超一流として喩えられるのは、言い得て妙だなと思う。

タモリさんに憧れる理由がもう一つある。タモリさんその人自身に捉えきれない深さと鮮やかさを感じることだ。

デビューから暫くトレードマークのサングラスだけでなく、眼帯をつけての活動もしていたらしい。一目では推し量れない深い所から滲み出ているであろう魅力を、穏やかで奇抜さとは程遠い時間の中からいつも感じさせられる。

かっこいいタモリさん

綺麗だ 素敵だ と言われるものには、絵画やファッションなどと枚挙に暇がない。凄く巧妙で唸る様な創意工夫によって作られたそれらと同じ種類で、けれどもそれ以上の魅力を自然から感じて感動することが多いなと、最近思うようになった。

花鳥風月を愛せる大人になったのだろうか。

しかし、それを僕は土の連なりにも同じように感じるようになった。これは年の功だけで感じるものでもなさそうだった。タモリさんの緩んだ目尻と眼差しの先にあるものから学んだ、地層という深みのあるもののことだ。よくよく考えるとタモリさんの素敵さはそれに近いように思えるし、それ以上かもしれないと寂しい噂を聞いた時にふと感じた。

ポールスミスは愛する英国代表感があるが、使いこなせる気がしない。

人はまだ経験のないことをよく考えようとする割に、その時間の先にあるものや感情を想像するのが、自分達で思うほど得意ではないのではないかと思うことが悩みを話すことが多くなると共に最近増えた。そんな風にボヤボヤ考えながら、見えない時間の中でもがきながら生きてきてみたら、振り返ると知らずに積み上がった僅かな層が少し見えるようになった気がする。

タモリさんの魅力もきっとそんな、もがきの先にあったのかなと若干の贔屓と共に感じる。僕にも僕の層が積み上がっていると思うと、あの時や今、この先の苦しみや悲しみも、寂しいながら橙や月色を引き立てる暗色なのではと思う。

最近、個人的に冷たさや暗さを感じ、避けてきた青や黒が好きになった。日焼けした肌に青が映えることも最近インスタグラムから学んだ。

親友であるお坊さんと僕の長きにわたっての鬱々としたテーマだった「この先120%満たされるなんてことはないんだ」とか、「悩みは果てない」と思うこと、「悲しみは必ずやってくる」ということは果てしない苦痛だとばかり思ってきた。

でもそれを悩むこと自体が愛おしく思えてきた。ともすれば、悲しいことは不幸せなことじゃないかもしれない。僕はいま黒も青も好きだ。自然が長い時間で積み上げてきたものに感じる慈しみや愛おしさを、自分の旅の中に探すことは正しい向き合い方だと思うようになれた。

タモリさんは、やはりかっこいい!

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