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今年はどんな一年でしたか

今日も一日お疲れ様でございました。

明日は十二月二十一日。

今年最後の御大師様の御縁日。
「納め弘法法要会」がございます。

毎年、この日を迎えますと
今年一年の出来事を振り返ります。

今年は我が身も構わず
ひたすら駆け抜けた一年でした。

ひたすら走り続けてみよう!
自分の体力も気力も実力もどれ程なのか、
よくわからないけれども
その先のことはその先に考えてみよう!
そう思い、走り続けた、そんな一年でした。

Twitterの呟きも今年はほんの少しになりましたが
何とかお写経会は続けられることが出来まして
ほっと致しました。

今は、来年に向けて又新たに
少しづつ変化が始まっているなあ、と
そんな風に感じております。

人のご縁とは不思議なものです。

まだ得度も済んでいなかった頃
私はお寺で何かを学び始めたくて
御詠歌の先生と、阿字観の先生にお声をおかけさせていただきました。

確かにお二人の先生と、同じようなお話をしたのです。
仏教について何も知らないけれども
何かを学びたいのでお勉強会に参加させて欲しい、と。

お二人の先生とも、曜日と時間を教えて下さいました。
けれども、たまたまその時
御詠歌のお勉強会は日程があいませんでした。

それで阿字観の方のお勉強会に参加することとなりました。

その先生が、やがて
今の私の兄弟子となることなど
その時は想像もしておりませんでした。

今日はお寺で阿字観の会がありましたので
兄弟子と、そんな時があったね、と
笑顔でお話を致しまして
とても懐かしくなりました。

たぶん、御詠歌の会に通うことになっていたなら
私はまた違う道に進んでいたと思います。

阿字観を体験し、積み上げていくことで
知識だけではない瞑想、生の仏教、
仏の世界を知ることが出来ました。

得度してから
今年の様に、お山に通うことになりますまで
ほんの数年の出来事です。

その時間を聞くと
僧侶の先輩方は皆様驚かれますが
阿字観からこの世界に入りました、と
お話しますと
皆様口を揃えた様に「なるほどね。」と言われます。

それほど、阿字観、瞑想体験というのは
仏教を知る上で大切なものです。

私はその御縁を頂いたのだな、なんて有難いことだろう、そうしみじみ思います。

「一句の妙法は億劫(おくごう)にも逢い難く
一仏の名字は憂曇(うどん)も喩(たとえ)に非ず」

「一句の優れた教えや、
一仏の尊い名前が聞けるという縁は
非常に稀有(けう=まれ)なものである。」

御大師様はそうお説きになられております。

もっと簡単な言葉にするならば
「すぐれた言葉、教え、お人とのご縁は
そうそうあるものではないのだから
よくよく感謝して、よくよく大切にしなさい。」

そういう感じになりますでしょうか。

大切にする、とは
一つ一つを、丁寧に懸命に
力を入れ過ぎず、抜き過ぎず
ひたすら続けることと思います。

今年は貴方様にとりまして
どのような一年でしたでしょうか。

どうぞ良い年末年始をお迎えになられますように
貴方様の遠くから、近くから
心よりお祈り申し上げております。

どなた様もどうぞ良い夜をお過ごし下さいませ。

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