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お写経と禿(かむろ)

「それ禿(かむろ)なる樹
定んで禿(かむろ)なるにあらず。
春に遇う時はすなわち栄え華さく。」

今日は、全国一斉みんなで自宅でお写経会の日でした。

バタバタとした日々の中で
今朝のいきなりの告知でしたので
お忘れになられてしまわれた方もおられたかと思います。

それでも沢山の方にTwitterで
♡マークを付けて頂き
嬉しい限りです。
感謝申し上げます。

禿(かむろ)というのは、
冬の、葉の落ちてしまった
枝だけの木々の姿を言います。

夏にはうっそうとしていた森の中も
冬には葉が落ちて
ずいぶんスッキリとして参ります。

その枝の間から見る
冬の空の重たい色、
冷たい木枯らしは
まるで木々が、もう立ち枯れしてしまっているようにさえ感じます。

けれども、不思議なことに
そんな木々達も
冬至を越え、日の当たる時間が長くなりますと
私達の見る目ではわかりませんが
春の準備を始めます。

葉のない木々であっても、
ちゃんと日の当たるのを
樹肌でもってちゃんと感じとっているそうです。

やがて気温があがり、
いよいよ、新芽がぽつぽつと
芽吹いて参ります。

私達は、そこでやっと
「ああ、春がきたな。」と、感じます。

けれども、木々達の準備は
私達が気がつくもっと前から始まっております。

あんなに寒い寒空の下であっても
着々と前に向かって進んでいく
その力強い姿は
私も見習いたいものと思います。

また、もう一つ更に意味があるとすれば
枯れてしまっているような姿、
もう駄目だな、と
諦めてしまいそうな時であっても
それが永遠に続くということはないのではないか、ということです。

立ち枯れたような木々達は
眩しい新芽が出て参りますと
それまでの姿が嘘であったかのように
夏には青々とした全く別の姿になります。

物事は全て移り変わります。

諦めてしまったら
そこでおしまいです。

物事全ては移り変わるのでしたら
駄目と思うことでも
駄目でなくなっていきますし、
また順風満帆と思っていても
その時も長く続くことはありません。

自分がどんな苦境に立った時でも
どうぞ絶望せずに
前に向かって進む強さを
持ち続けたいものと思います。

お写経も、回を重ねるにつれ
どんどん楽しくなって参ります。

書き始めの頃と
何回か数をこなされた後では
お写経に対する感じ方も
ずいぶんと違ってきておられるのではないでしょうか。

今、辛い、苦しい、と言われる方は
その辛さはいつまでも続きません。

今、楽しい、何だかすっきりする、と
仰る方も
そうでないと感じる時もくることでしょう。

私達はどんな時であっても
ただ、黙々と
自分のすべきことをこなしていくことが
とても大切なことなのだと、
この言葉で
御大師様は教えて下さっておられるのではないでしょうか。

また来月のお写経会、
皆様とご一緒させていただきますことを
心より楽しみにしております。

どなた様もどうぞ良い夜をお過ごしくださいませ。

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