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区別、分別、差別、自我

今日も一日お疲れ様でございました。

ブログを書いておりますと、昨年の自分の記事が表示されて参ります。

昨年の今頃はどんなだったかな、覗いてみましたら
関東が雪で大変だった様子です。

それを思いますと、今年の暖冬は有難いです。

昨日から今日にかけて
小さな事件がいくつか起きました。

それはほんのささいなことですが
こんなことあるのだな、と言う様な
日頃思ってもいない様な出来事でした。

満月の影響でしたでしょうか。

何か、いつもと違う出来事や
自分が想像もしていなかったことがあると
私達はすぐに誰かや、何かのせいにしてしまいがちです。

そこには必ず原因があって
結果があります。

誰が悪い、良いということではありません。

全ての物事は、起こるべくして起きたこと。

ただ、それだけのことです。

その時に、腹が立つのは
その時に、悲しくなるのは
その時に、恨めしく思うのは
自分と、お人の間に
区別をつけてしまっている証拠です。

私達は、みんな繋がっています。

みんな繋がって1つのものを作っています。

この体が、いろいろなパーツで
1つの体として成り立っているのと同じことです。

どこからか顔で、どこからが腕でしょう。

手と腕の区別はどこにあるでしょうか。

自分とお人との間もそれと同じです。

ここからが自分のもの、と、区別や
分け隔てを作るから
いろいろな悩みや苦しみが生まれます。

例えば、自分の持ち物を取られた!
そんな時
「自分のもの」と、
意識しているから腹が立つ。
それが分かりやすい例えかもしれません。

自分だけのもの、なんて
この世の中にありますでしょうか。

所詮、繋がって1つのものなのですから
そんなことあるのだ、
そういうお人もいるのだ、と
認めましょう。

認めて、許す。
突き放すのではなく、受け入れる。

おおよそですが、
そんな内容のことが書かれておりますのが
昨日皆様がお書きになられました
「般若心経」です。

そんな心で、いつも
全てを受け入れられるように
私も日頃から心がけたいと思っています。

どなた様もどうぞ良い夜をお過ごしくださいませ。

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