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冬天の暖景

今日も一日お疲れ様でした。

「冬天に、暖景なくんばすなわち梅麦何をもってか華を生ぜん。
(中略)
苦を見て悲を起すは観音の用心、危きを視て身を忘るるは仁人の勤むるところなり。」

弘仁五年の年、
奈良仏教の元興寺の中璟という一人の僧侶のために、
どうぞ罪を軽くしてあげて欲しい、と
嵯峨天皇にお願いを申し上げる、
上表文の一部です。

大師はとても筆まめで、
いくつもの手紙が残っておりますが、
一人の人のために
延々と丁寧に、また失礼の無いように嵯峨天皇を説得されている、そんな様子が伺えます。

一体何をしたのか、という詳しい内容は無いのですが
戒行を守らずとありますので
僧侶として、してはならないことをして罰せられることになったようです。

現代の私達も、こんな風に説得されたら
少し考え直そうかな、と思わずにはいられません。

「どれほど季節が厳しい冬だとしても、
たまに暖かい日があるからこそ
それを目指して、梅は咲きますし
麦も芽を出します。

お人が苦しんでいる姿を見たら
思わず助けよう、と思う心は
観音様そのものです。

また、人が危ない目に会っているところを見たら
後先考えずに、救おう、とするのが
人徳の高い誠実な人のすることです」と。

今の時代は、とても人と人の間のやりとりが難しい時代ではないかな、と思います。

Twitterなどでも、毎日のように
何気なくつぶやくいた、どなたかのほんの一言に、
あの言葉、この言葉を駆使して、
相手をやり込めよう
自分が正論に違いない、という論争が繰り広げられています。

そのことが話題となり、次の日のニュースになったりもします。

法律なのか、モラルなのか
自分が絶対に正しい、
相手は絶対に許さない、という
YESかNOか、白か黒か、という感じです。

もし、自分がその矛先になったとしたら?
そう考えるとすれば
心は休まる時はありません。

そんなに緊張して
お人と交わるとしたら、
こんなに悲しいことはありません。

もし、失敗をする様なことをお人がされた時
責めるばかりでも
冷たく接するのでもなく
「やり直し」のチャンスを与える、ということは
大切なことではないのかな、と思います。

大師の仰る「冬天の暖景」
日頃より、一人一人が
目指す正しいあり方を目指しながら生きることが
何よりも大切なのでは、と思います。

失敗は誰にでもあります。

どなた様もどうぞ良い夜をお過ごしください。
😊

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