この8年と、あと2年と、今後10年
戦後70年の時、考えていた。
美江おばーに出会ったあの旅の後考えた。
「戦後80年になった時、私は何を思うだろう。戦争体験者から話を聞けなくなると言われ、10年経った時、私は後悔しないことができているだろうか」
10年何ができるか、何をしたいか考えた時
「戦争体験者のそばで話を聞き続けたい」と思った。
いつ聞けなくなるか分からないと言われ続け、少しでも「戦争体験者」から離れるのが怖かった。
「戦争体験者」を理解したいと思った。
そんな気持ちがあったから、美江おばーに何度も会いにいった。
それから「戦争体験者」としてみてそれだけを記録して残すのではなく、田中美江という1人の人間としての彼女の記録を残していくことに意味があり、あの戦争を理解することに繋がるのではないかと思うようになった。
で、3年半一緒に暮らした。
私がこの8年やってきたことは、社会のためではなく自分のため、自己満足のためにやってきた。
「戦争体験を聞ける最後の世代だよ」と言われ続けた私の自分なりの答えを求めてやってきた。
おばーと本気で向き合ってきたし、
おばーに対して妥協したことは1回もない。
聞き取りだけじゃなくて、一緒に生活をする中でも。
だから、私の中ではその問いかけの答えはしっかり出していると思っている。
言葉にできるか分からないけど、私の心の中に在る。
後2年で、戦後80年になる。
きっとその時こう言われるだろう。
「戦争体験者がいなくて、どう後世に継承していくのか」(今も問われてるけど)
私が向き合ってきたおばーがいなくなってしまった今、後2年、自分の中での答えのみつけ方を考えていきたい。そして戦後80年の時、またその答えを出すために本気で向き合う次の10年を迎えたい。
今やっていること(生活史を聞き取る)を続けながら、今やっていることの意味をもっと考えて行くのが最初にやることかなぁ。と思っている。
私はやりたいことがたくさんある。
より良い社会になるためにもやりたいことがたくさんあるけど、私は結局自分が納得するのが先だし、自分の自己満足が完璧になるが先だ。
この人生でたいそうなことは成し遂げられないかもしれないけど、どれだけ小さなことでも、それが自分のためだけのものでも、本気で向き合って後悔のないようにしたい。それはこの8年で学んだことだから。
それを積み重ねたら、いつか社会が良くなることに繋がってくれるかな?
研究者でもない、活動家でもない、他人からみたら本気でやってるの?って思われてもおかしくない私だけどね。笑
私は私なりにこの世界(社会)と向き合っていこう。
美江おばー、見ていてね。
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