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感謝>>真冬の温泉>腹ペコでごはん

数日きちんと掃除をしていなかったら、お風呂もトイレも汚れていた。
はああ、とため息をついてしまう。はああ、わたし掃除は嫌いじゃないけど。やればやっただけ綺麗になるという、そういう目に見える単純なことって気持ちの上でとても大事だと思うし。余計なことを考えなくて済む時間でもある。手を動かせば成果が出て、達成感さえある。
そうやって自分に言い聞かせてきたけど。
なんでわたしばっかり、たまにはやってよ、という言葉が喉元まで出かかって、ぐいと飲みこんで、ため息になる。

感謝を忘れてるな、と思う。相手がではなくわたしが。
わたしばっかり損をしていると思ったり、相手への不満な点ばかり目についたりするのは、心身の調子が良くない証拠だ。いや、心身が不具合であるがために他責的になりがちなのかもしれない。卵が先か、ニワトリが先か。どちらがというわけでなく、循環しているように思う。

いろいろなひとが支えてくれて、助けてくれて、いまのわたしがあるのに。その実感はちゃんとある。実際的な援助ではなくても、温まる言葉を掛けてくれるだけでひかりが差すこともある。むしろそういうものに支えられているのかもしれないと思う。このひともこうやって生きているんだな。わたしとは実生活で何も接点がなくても、同じ空の下で同じ星に照らされていることを想像して、小さな救いにする。

タイトルは、数年前あるブログで見つけた文章の一節(の、アレンジ)。主に食事の面から生き方にアプローチしているような内容のブログだった。平易な文章だけれどどこか刺さった。
そのひとの考える「感謝」は、最終的に「セルフ感謝は最強」という結論に至っていた。周りや他人への感謝は、どうしてもできないことがある。一生できない相手も存在するかもしれない。じゃあどうすればいいのか? そういうときは自分に感謝するのだ。セルフ感謝。自分で自分にありがとうと感謝すること。これはいつでもどこでも、相手がいようといまいと、できる。感謝をするとじわじわ身体が温まってくる。すみずみまで満たされる。セルフ感謝ができればいつでもどこでも幸せを感じることができる。のだそうだ。
このブログを読み返すことはないけれど(閉鎖しているかもしれない。少なくとも更新は止まっている)、これはわたしのどこかに留めておかねば、という文章はスクショしていた。そしてそれを思い出した。油断すると文句ばかり出てきそうな気持ちで排水溝の掃除をしながら。
思い出せただけ良かったかもしれない。これ以上やさぐれていくのをストップさせてくれたような気がする。

ありがとう、気づいてくれたわたし。吐き出しのようなこの文章を、最後まで読んでくださったあなたにも、本当にありがとう。

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