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ただの日記。ケチな葛藤の特効薬は藤井風。

まだ夜が明けきらぬ北の大地よ、おはよう。花冷え。今朝も寒いけど、日中は晴れるみたい。そろそろ衣替え。

揺らぐ心と体。どちらも無理が出来なくなってしまった。新しい生活サイクルにぼちぼち体を慣らして行こう。

「捨てる」と「手放す」では、単なる言葉のニュアンスの差ではなくて、心にのしかかる罪悪感の重さが違う。

30年以上暮らした東京を離れる際、多くの物を捨て、手放した。帰郷後は、実家の断捨離を延々と続けている。

自分の東京の家もそうだったけれど、長く住むほど物がたまる。しまえる空間があるだけしまい込んでしまう。

引っ張り出してみると、全然使っていないし、いつか使うこともないだろうし、実は必要ないんじゃないかと。

手に入れたこと、持っていることで満足してしまい、使わない。使わないのに、もったいなから捨てられない。

ケチな葛藤と向き合いながら、日々、持ち物と向き合い、選別して、死ぬ時に残っていていいものを見極める。

わたしが死んだら、愛着や思い出がある大切な物だって、全部ただのゴミになる。物も人の命と共にあるのだ。

手放すかどうか迷った時は、藤井風くんの『帰ろう』の歌詞を噛み締める。何がベターな選択かを自分に問う。

ほぼ毎日、Netflixの風くんのパナスタライブ映像を視聴している。軽やかなアレンジの『帰ろう』の歌詞(抜粋)。

あなたは灯ともして わたしは光もとめて

怖くはない失うものなどない 最初から何も持ってない

わたしのいない世界を 上から眺めていても

何一つ変わらず回るから 少し背中が軽くなった

くださいくださいばっかで 何もあげられなかったね

生きてきた意味なんかわからないまま

ああ全て与えて帰ろう

ああ何も持たずに帰ろう

与えられるものこそ与えられたもの

去り際の時に何が持って行けるの 一つ一つ荷物手放そう

20代初めにこんな歌詞を書いた彼は、やっぱり凄い。物事を深く考える習慣を子供の頃から持ってたんだろうな。

あの若さで、あの声で、穏やかに、優しく、爽やかに歌うこの曲に何度泣かされたことか。この曲で送られたい。

それにしても、あの映像の中のあの会場にいて、この音楽を聴き、風くんを観たということが奇跡に思えるなぁ。

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