『レニ』見たよ。

ただでさえ日常をアレンジする能力が低いのに、いきなり仕事を放り込まれると日課が瓦解してしまうのです。
まあ、メモ帳には駄文がいくらでもあるから、記事更新はできるけど、それだともはや記憶の補強にも形はしないですね。

『レニ』
90歳になったレニ・リーフェンシュタールが人生をふり返る。

とにかくドキュメンタリー対象が凄まじい。
話の端から端まで興味深いことしかない。
おいそれとおもしろいと言えないところを含めて凄まじい人生だ。

90歳のレニ・リーフェンシュタールの利発さ、記憶力がキレキレで、現役並み。天才性と完璧主義も健在で、ドキュメンタリー撮影中にも監督に楯突いたり、構図の指定をしたりと現役感がすごい。
記憶力については、撮影当時の意図や演出論、苦労話が立て板に水でつらつら出てくる。

その反面、プロパガンダの責任についての話になると、途端に理論性もあやしいレベルで話が平行線になる。
たぶん、言い逃れようという意識さえなく、自動思考として、心を何処かに逃しているかのような物言いになる。
そうした噛み合わない話のあと、上述のような映画論の話のキレの良さが際立って見える。
ドキュメンタリーで見どころとなるのはうっかり写ってしまったもの。それが本作では、レニ・リーフェンシュタールのイキイキとした目だと思う。昔の事を覆い隠そうとするようなぼんやりした眼のあとに、編集室の場面になる、どんな意図で撮影したか、その演出の成功した部分を語る彼女の眼が、子供のように光りだす。

フォン・ブラウンが悪魔に魂を売ったみたいな言い方をされることもあるけど、両人とも、自分の魂のために、倫理観に眼を瞑ったわけで、その点においては、生涯眼を開くきはないのだろう。

それがどれほどの責任があるかは、ドキュメンタリーの監督自身も断罪したいわけではなく、レニの考えを聞きたいだけだったと思うけど、眼をつむっているのだらからぼんやりした会話にしかならない。
よく言う、何かを無視する事によって利益を得ているものにそれを気づかせるのは難しい、というやつだ。

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