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【81年続くラジオ番組】

アーカンソー州ヘレナはミシシッピ州ではないものの、デルタの中心地、クラークスデールから40kmほどの距離。ミシシッピ川を渡ればすぐの位置にあり、ここもブルースの町として有名です。ロバート・ジョンソンの結婚した相手がいて、彼が頻繁に通っていたことでも有名です(その連れ子が、ロバート・ロックウッドJr)が、他にもウィリー・スミス(マディのバンドのドラマー)など、この町出身のブルースマンも多いです。

クラークスデールからおそよ47km。右上がメンフィス。

キングビスケット社提供の、ラジオ番組

この町がブルースの一つの中心地になったもう一つの理由は、「King Biscuit Time」という1941年に始まったラジオ番組にあります。この町のKFFAというラジオ局から放送されたこの番組は、Interstate Grocer Companyの提供でした。この会社が販売する小麦粉のブランド名(King Biscuit Flour)がその名の由来で、番組開始当初からサニー・ボーイ・ウイリアムソンIIとロバート・ロックウッドjrが出演していました。上の写真は1942年のもの。中央がサニー、他にピアノに座っているのはパイントップ・パーキンス、そして写真右端はヒューストン・スタックハウスです。ブルースをかけるラジオ局など皆無だったこの時代に、デルタ一円で聞くことのできるこのラジオ番組はとても有名でした。この番組は、平日の12時15分から30分生放送されており、デルタで働く黒人労働者の昼休みの時間に合わせて設定されたと言われています。B.B.Kingはじめ、多くのミシシッピのブルースマンがインタビューで「当時、ラジオを聞いて〜」と語っているのは、大抵この番組のことです。B.B.Kingは1925年生まれですから、番組が始まった当時は16歳。この世代のブルースマンはちょうど多感な時期にこの番組を心待ちに聞いたことでしょう。サニーボーイには同名のアルバムもあります。

初期の録音集ですが、一部この番組の録音のものが入っています。このようにデルタのブルースシーンを盛り上げるのに一役買ったこの番組は、今でもブルースファンの間では有名です。1951年からはソニー・ペインという看板DJが長年MCを務めました。ふと「今でもやっているのだろうか?」と思い調べてみると、なんと番組はまだ続いていました。

上はヘレナのデルタ文化センターのサイト。今(2022年)でもこの番組は12時15分から、この文化センター内から放送されているそうです。看板DJのソニー・ペイン氏は2018年に亡くなるまで、67年間もMCを務めたそうです。また番組は、81年も続いていることになりますから驚きです。何にしても、アメリカ音楽全体に影響を与えるようなラジオ番組が、1万人程度の小都市に存在する小さなメディアから生まれ、今もなお存続している。文化発信のほとんどが東京に一極集中してしまい、結果、音楽が均一化してしまう日本と比べ、その懐の大きさに驚嘆するばかりです。

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