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人生のOpen ES


を書くなら力を入れたこと、までがタイトルの予定だった。

どこの企業に出すわけでもない、ES
しかもこれは”創作大賞”の参加作品。

どこまで実話ベースかはさておき
わたしが人生で力を入れたことは何だろう。

これまでの人生整理、自己分析から整理すると、
“公私の公の部分で人と全力で向き合ったこと”
だと言える。

ここまできたら、人材を極めたいからもし私が今会社員ならば、人事部に勤めてみたいと思うくらいである。

公私の公が私なりの定義だから詰められたら苦しいが。

しかしこれは私としては誇れることであると同時に意外なことでもある。
なぜなら私の人付き合いは大変苦手なのも相まって、基本スタンスは人嫌いだからだ。

ただ、前書いたが人付き合いは必要かつ1人では生きられないことは小さい頃から沢山色んな場所で教えられてきた。
とくに一人っ子の私は、自己完結自己解決しがちなので、人といることに価値を見出したいと強く思っていた。

しかしそもそも公私、などわきまえや分別の観念がない小さい頃から七転八倒な人間関係だったため、なかなか人といることに価値、は見出せなかった。

時に家族には強く当たったこともあり悲しませたと思う。

だけれど、公の部分では全体を考え、どう動くのが良いか、たくさん考えた。

公、とは学校の人間関係、部活の人間関係、アルバイトの人間関係、、何だかんだほとんどだ笑
私にとって肝は”また会う環境かどうか”であり、継続的に顔を合わせるの不可避なら、そのは期間全力で向き合うということだ。

今でも、今いない人の悪口を言う人には、厳しく接している。

そもそも、無価値感は誰かにレッテル貼りされてきたもの、とどこかで見た。
当たり前だが赤ちゃんが無価値さは感じない。
当然、どこかでラベリングされたことだ。

では、私が課題と書いたネガティブなことを言う時瞬発力が落ちる理由は何か。

やはり小さい頃の教育だと思う。
小さい頃、言霊があるから悪いことをいうのは
やめなさいと言われた。

確かに下手なことをいうと晒される時代なので、気をつける必要はある。
しかし、いかなる時もダメなわけではない。

それを、今日まで純粋に信じていたのだ。

はたと立ち止まる。
そもそも、それをいう教育者(親や先生)は、より良く生きるために言ってくれてるのであり、呪いのように自分を我慢させて苦しんでまで盲信せよとは言っていないし、そんな意図もないはずだ。

人を傷つけないようにしましょうと同じようなもの。
自傷行為してまで人を傷つけないとは言っていない。どれも、自分も人もよりよく生きるための話だ。

ここで、改めての課題、”本質思考”が出てくる。

盲信するのではなく、何のために発話者が意図して発言していたか、を考えることだと感じる。

私が人生の大きな節目となったことを紹介したい。
〇〇年前。
高校の部活の運営で困ったことがあった。
顧問が不公平だった。

部活に厳しい学校で、練習時間は他校に比べかなり短いものだった。
そのためオーケストラ部も、やりたい人が楽しく、をモットーに運営したいのが顧問はじめ大人の意見。

対して同級生達は質をより求めた。
しかしそのためには朝練など、本来の目的より厳しくなりすぎることが懸念される

そんな折、リーダーAと同級生Cの間に亀裂が入った。
Aは演奏の質を1番ストイックに追い求める人で、Cは顧問にAがキツすぎるというクレームをした。
顧問はAを嫌っていて日頃から冷遇していたので、同級生Cのクレームを皮切りにAをコテンパンにしたのだ。
私も巻き込まれる。

この時私は3つのことを感じた。
1つ目は人を巻き込むことの大切さ。
私の考えとしては、人と一緒にものをやる以上。みんなそれぞれ我慢する必要がある。だから、私ばっかりクレームを言っていては良くない。我慢をしなくてはと言う考え方だった。
だが、ここで学んだのはCのように人を巻き込むことによって成功するというか、巻き込むことができる人たちがきっと勝っていくんだろうなぁということだった。私としてはCに対しても不満だった。
そもそもこれは死ぬような話でもない。
これぐらいの不満ならみんな抱えているので、それをみんな顧問に行ってしまってはキリがないと言うふうに考えた。
皆の為を思って我慢ではなく、しかしやはりこういうところできちんと人を頼れる人たちのが成功していくんだろうなぁとその時に強く強く感じたのだった。

2つ目は、中立能力の低い不公平な顧問への違和感。普通こうしたクレーム的な意見を聞いたらAの意見も聞くはずである。しかし、彼女はAのことが好きではなかったので、Cの意見を直通してAをコテンパンにするような形をとったのである。
私はやはり中立でいるはずの大人が中立でないと言うことに強く不満を感じた。
頭の良い人ならもっと俯瞰して冷静に物事を見ることができるはずというか、見なくてはいけないと思う。そのことに対してすごく疑問を感じた。

3つ目はやはり言語化能力である。
私は高校の子の時まで寡黙な人だった。だから自分が思ったことを、例えばその顧問の中立性とかも16歳の私にはすぐに言語化する能力はなかった。
しかしやはり将来AやCのような人たちにあったときに私はこのままでは”引き立て役”になってしまうと言う恐れも強く感じた。
今はすみっコぐらしなど、引き立て役、様々な人たちにも優しい社会になってきた。しかし当時はそうでもなかった。

私はこのことをきっかけに寡黙でいるのをやめた。
そして大学では多くの人と関わり、言語化をしていくということが必要だと危機感を覚えたのであった。もちろん、ACといった人たちとはもう会わないのかもしれないだけれど、似たような人たちに会ったときにまた当時と同じような思いをしなくてはいけないと言うことがどうしても嫌だった。そして中立でない人たちに対しても、すごくすごく違和感を感じるきっかけとなった。

ちなみに、顧問に対しては高校卒業の直前に詰めている。やはり彼女の姿勢は良くなかったと思ったからだ。
しかしそこで彼女は悪い人では無いのかもしれないけれども、中立性には欠けていて顧問の才能はないと感じた。
そして私に対しても表面上の謝罪はあったが、あまり悪いとは思っていないのだろうなぁと言う感覚を残した。どうやら彼女はその1年後に教師そのものを辞めてしまったそうだ。確かにあまり向いていないと思う。
もしやるとしたら、大学の教授などの方が向いているのではないかなというのが個人的な意見。
あそこであの程度の中立性も取れないのであれば、と言うのが厳しいかもしれないけれども、私の見方である。

私今挙げた3つのことだけが当時何も言えなかった、何もできなかった原因だろうか。
私は上記に挙げた。やはりネガティブな事は言ってはいけないという決め込みもあると感じた。
小さい頃から呪いのような自分の中で決めてきた心情も邪魔をしていたのではと言うふうに考える。そもそも先ほどと重複するが、それを言ってきた人たちの意図は、”より良く生きる”ことで、呪いのように絶対にそうであると決め込むということは向こうだって意図していないはずである。
そこ私は理解ができずピュアに真面目に悪い事は言ってはいけない。ネガティブな事は言ってはいけない。まるで呪文のように自分の頭の中に刷り込んでいたのである。

先日、弘中綾香アナの連載を集めた著書、『アンクールな人生』を読んだ。

弘中アナはフリートークも上手いから期待をしていたが、期待通りの面白さ。
これに限らず、人の随筆は面白い。
小学生の時から、随筆が大好きである。
上手い下手、というよりは人生を知るってなかなか難しいからだ。

やはり1番印象に残ったのは楽しい話より挫折話。美談にするのは易しいが、なかなか苦悩を曝け出すのはできないからだ。

繰り返しになるが、私が頑張ってきたのは、公私の公の部分で人と全力で向き合ったこと、で、課題は本質思考、趣味は書くこと。

私はこう生きてきた、整理したらそれ以上でもそれ以下でもない。
弘中アナ同様クールは無理で、アンクールである。
クールなら高校のあの場面は何なく切り抜け、〇〇年後にこうしてごねたりはしていないだろう。
中立力、瞬発力と言語化能力、人を頼る力を鍛えて活かしていきたい。
そう決めて終わりにしたい。


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