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おまけ

奮闘!就活体験記をお読みいただいた皆様ありがとうございました。

全て書き切れたわけではありませんが、整理にはなりました。

最近他の人と話していて思うのが、劣等感は大切だよねという話です。深層心理トークを呑みの席でしました。

そもそも劣等感はどこから来るのでしょう…?家族、周りの友人、同級生、親戚、近所、色々あると思います。

私の場合、中学受験での進学した学校がミスマッチだったこと、がその1つです。多面的に考える必要があるため、答えはなくまた20年後は違う事を言っているかもしれませんが。

理由はやはり、多感な中学や高校時代に勉強するという道を迷いなく選ぶ風土を維持するにはそれなりに犠牲を伴うからです。

進路ABCがあり、1番課題が大変なAが優で特権階級などとしないと、頑張る風土を維持できないわけです。逆にCは怠け者、などとすることに私は大変疑問を抱きました。

就活体験記にも、部活動に入った事を後悔している旨書きましたが、
人間関係が社会人のようで、人と関わる中でこの時期に醸成すべきものが作られなかった点、が特筆して後悔していることです。

この就活体験記は稀有な条件の元書くことができていると書きました。旬は逃さじと書いたわけですが、要はそういうことです。

劣等感は人によりますし、立ち入りにくくもあります。

人の感情に模範解答や正解がないので、立ち入り方含め高いコミュニケーション能力が必要となると感じます。

デジタルやAIの時代でも生身の人と人のつながりが基本です。手洗いうがい並みに基本です。

人間関係は一瞬で壊れます。どれだけ築いても一瞬です。けれど、仕方ない面も多い個々ではなく居場所としての団体(学科、習い事など)の雰囲気は選ぶことができます。

大学受験の塾に入る時、居心地は悪くないと思うよ!と言われたのが入塾のきっかけでした。

とある連載記事を紹介してもらいました。
記号的な言語になっていないか、常に問いたいと思います。
要約すると日本語と英語、その他言語で人が変わるようでは半人前、一貫性を持つことこそ信頼であり相手を考えた真のコミュニケーションだそうです。

確かに日本語だと控えめだが英語では饒舌、はよくある話です。

日本語でも英語でも、いくらメールでもSNSでも、その先には”生身の人”がいることをしっかり把握すべきだと思いますし、その意味でこの記事は刺さりました。

(不自然に)ただ褒めればいいなどという短絡的な話ではなく、生身と変わらない関わりを心がけるべしという話だと思います。

就活を通し沢山の人と関わり、やはり大学や学科は向いていたな、と納得できたのはよかったと思います。

中学受験は実は調査が足りていなかった部分はありましたし、学校見学で?と感じた部分があったのに見なかったように蓋をしてしまっていたのも思い出しました。

自信を持つのは難しくても自分のために時間をかける、納得するまで考えるのは大切な過程だと心から思います。


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