見出し画像

松本人志文春報道•本当に悪いのは誰だ?

Ⅱ、
前日、前段で述べたように、私は世論にかなり偏りがあると感じるが、どうしてその偏りが生じるのかにも関心を持っている。

思うに、人々は、
『性的なことに関心が強い』
『よく知らないことにも(よく知らないからこそ?)拙速に結論づけたがる』
『正義を行なっているという充実感を味わいたがる』
『無名だから大胆な振る舞いをしても簡単には咎められない・処罰されないと高をくくっている』
からではなかろうか。

また有名人も、ロールモデルとして虚像が肥大化しており、一般大衆はそれを突き崩したくなる気持ちもあるだろうか。
そんな理想的な人などいないのに、理想的な素晴らしい人と思いたい心理が、無意識のうちに働きがちであることには、十分注意しなければならない。

世間には、「この世の中は無条件に合理的で公平であるから、必ず悪が懲らしめられ善が奨励される」と思い込んでしまう人がずいぶんいる。
もちろん、実際にはそんなわけはないのだが、ある種の人はそれを認知し受け入れることができない。

現在の状況は、事件を精査するのを装って、有名人のプライバシーを暴いて喜んでいるだけに見える。
しかも、多くの人は「自分は正義を行っている」という大義があると思っているので始末が悪い。
かつ、週刊誌や一部の「識者」は大衆にはこの思い込みがあることを分かっているうえで仕掛けてきている。
自分の小さな利益のために、社会の大きな財産を毀損しても構わない、と思っている卑怯な人たち。
悪循環を断ち切るのは難しいかもしれない。

もし、困難を克服する希望を見出すとすれば、
大衆が、この異常な事態の大きな誤った構造に気づくかどうかにかかっている。

自分の寂しさ・退屈さを紛らわすために、有名人に自分の気持ちを仮託していないだろうか?
みんなが自分自身を疑うことが必要と思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?