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いちいち他人のふるまいに口出しする人が多すぎやしませんか、その2

たとえば、自分の連れが
通りすがりの目立つ人を見て
「あ!あの人、変な服着てるー!」
「あの人はなんか汚いね」
「あんなに注文して、食べ切れるのかなー?」
「なんで酸素ボンベを引きずりながら歩いているんだろー?」
などと言ったとしたらどうしますか?
「そんなこと、指さして言うものじゃないよ」
と注意するでしょう。

インターネットを介すると、そういうマナーが飛んでしまうのはなぜなんだろう?
「女遊びの趣味が悪い」
「交通費に3000円て」
などと意見する人々。
(特に老人に多いようです。)
素人に手を出すのはダメとか、交通費に色を付けろとか、ホテルで飲み会は金かけすぎとか、
そんなの放っておけばいいのに。
個人の趣味でしょう?

逆に、その意見を聞いたら、私など、
「素人と玄人の区別をするなんて、蔑視があるんじゃないの?」
「対等な関係だと思えばこそ、交通費名目でお金を持たせなかったんじゃないか。交通費を多めに渡しなさい、という人は、交通費名目でたかる人間なんだな。あるいは、交通費名目で金を渡して他人を買収する人間なんだな」
と思いましたよ。

他人の嗜好や方針をうんぬんするのはマナー違反。
芸能界の権威ぶって意見する連中もいるようだけど、かえってみっともない。

本当に、こんな形で個人の内面に踏み込んだり、他人が勝手に「こうあるべきだ」なんて決めつけたり、差し出がましいことはやめて欲しい。

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今ではかなり減ってきたが、日本では数年くらい前までは、テレビなど公衆の場でも、平気で同性愛者蔑視がまかり通っていた。ここ数年で「時代的に許されなくなったので」同性愛者蔑視や不細工蔑視はやめます、と宣言する芸能人もちょくちょく出てきたようだが。(時代の問題か?と、私などは思うが)

この、同性愛者や不細工蔑視は、まさに上で書いた、他人の内面のありように、とやかく口出しすることと、同じ地平にあると私は思う。

ゴシップマスコミは、この大衆の気まぐれな「何の関係もないけど、興味本位で偉そうに決めつけたがる」習性につけ込んでいるのだ。
もっと言えば、こういう考えの浅い者たちを馬鹿にして見くびっていると思う。

興味本位は捨てよう。
他人の内面•性癖の自由を認めよう。

私は、りゅうちぇる氏が亡くなったとき、彼の気持ちを想像して涙が止まらなかった。いまだに泣けてくる。

男が可愛いものが好きだったらダメなのか?カッコよくなくてはならないのか?必ず女の子を好きにならなければならないのか?夫に父にならなければならないのか?
などたくさんの苦悩があったことだろう。

この世間の「約束」から外れると、奇異な目で見られる嘲笑されるのだ。
法律や道徳では「個人の心の中は自由ですよ」とされているにも関わらず。

女の子を好きになることにすれば変われるだろうか?
結婚すれば変われるだろうか?
子供ができたら変われるだろうか?
彼は悩み抜いたに違いない。
本来の自分ではない自分を演じ続けていたに違いない。
しかし、彼は自分の内面を変えることはできなかった。
最後まで。

みなさん
個人の気持ちのあり方を決めつけるのはやめようじゃないか。
魔女狩りは止そうじゃないか。
お互いを悲劇に追い落とす不毛な構図に気くべきだ。

私は心から強く願っている。

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