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大川原化工機事件に思う、日本の司法の劣化

大川原化工機の冤罪事件で、これが冤罪であるばかりか、拘留中に癌が見つかった相嶋静夫さんに適切な治療を受けさせなかったことについても、遺族が国を相手に損害賠償請求をした訴訟について、東京地裁は請求を棄却したという。裁判所は、相嶋さんの勾留の一時停止の請求を何度も却下したという。

裁判所に大きな落ち度があったのは明白だと思う。
遺族の「裁判所に大きな落ち度がありましたよね?」という請求を、その裁判所にしないといけないというのは大きな制度矛盾だ。
この矛盾について、担当裁判官が違えば中立性を保てる、と強弁するのだろうか?

中立性を保っている、と胸を張って言いたいのであれば、裁判官・検察官の交流(判検交流)はやめるべきではないか?

そう、
異様なこだわり・執着を見せた担当検察官の異常性は多くの人が知るところとなったが、組織内では昇進しているという。

以前は、司法関係の役所は中立を守り、正義の味方で、弱い市民を守ってくれるもの、と子供心に思っていた。
社会の教科書にも、裁判所の独立を守った大津事件・浦和事件が載っていたものだ。

それが今では、大衆におもねり、検察と癒着し、弱いフリをしている者に付会の理屈で迎合し、…
冤罪を生み出す悪魔の装置
と言われかねないですよ…?

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